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ブックレビュー「人新世の「資本論」」

日経新聞に「リーダーの本棚」というコラムがあって、各界のリーダーが自分の推し本を毎週紹介している。

通常あまりこういったビジネス関連の推し本は余程のことが無い限り参考にしないのだが、群馬県知事である山本一太が次のように述べていたので興味を持った。

最近、読んだ本で引き込まれたのは斎藤幸平の『人新世の「資本論」』、それに丁寧に反論した柿埜真吾の『自由と成長の経済学』です。新進気鋭の論客の真摯な論争は、現代の日本社会の問題点を考えるうえで非常に興味深かったです。

日本経済新聞「リーダーの本棚」

この山本氏という政治家自身に特にシンパシーがある訳では無いが、二つの相対する意見を比べるという姿勢は好感が持てた。

ということでまずは「人新生の「資本論」」を読んでみることにした。

本書は2020年9月22日に第一版が発行されているので既に3年以上が経過しており、50万部発行されているベストセラーだ。

内容をかいつまむと、次の通りとなる。

ノーベル化学賞受賞者であるパウル・クルッツエンが人間たちの活動の痕跡が地球の表面を覆い尽くした年代という意味で命名した「人新生」。国連が掲げたSDGsは資本主義の辛い現実が引き起こす苦悩から眼をそらす「大衆のアヘン」でしかなく、このまま行くと人類が築いた文明が存続の危機に直面している。

先進国は帝国的生活様式、すなわちグローバル・ノースにおける大量生産・大量消費型社会で豊かな生活を送る一方、裏ではグローバル・サウスの地域や社会集団から収奪し、自分たちの豊かな生活の代償を押し付けている。そして今や資本主義のグローバル化が進み、新たな収奪の対象となる「フロンティア」が消滅し、資本主義自体が限界に達しつつある。

「グリーン・ニューディール」、すなわち再生可能エネルギーや電気自動車の普及のために大型財政出動や公共投資を行い、雇用を創出し、有効需要を増やし、景気を刺激する、といういわば「気候ケインズ主義」は良さそうに聞こえるが、どうもそうはうまく行きそうにない。

経済成長と環境負荷を切り離す絶対的なデカップリングは、気候変動や生物多様性などがプラネタリー・バウンダリー(限界を超えない「人類の安全な活動範囲」)を超えてしまっていることから「現実逃避」あるいは「幻想」のようだ。

デカップリングが困難であれば、経済成長を諦め、脱成長を検討するしかない。そして気候危機の原因は資本主義そのものであり、それを突き詰めて考えていたのがあのカール・マルクスだった。

マルクスは「共産党宣言」では「ヨーロッパ至上主義」を背景に資本主義が早晩経済恐慌をきっかけとした社会主義革命により乗り越えられるという楽観論を抱いていた。このため社会主義を打ち立てるために資本主義は「生産力至上主義」をどんどん発展させる必要があると考えていた。

しかしその後の恐慌を経ても資本主義は頑強だったため自らの認識を修正、晩年は「人間と事前の物質代謝」と呼ぶ自然の循環過程のなかでしか地球上で生きていけないと憂慮した。そして自然科学と共同体社会を研究する中、初期の彼の理論の礎であった進歩史観、西欧資本主義の優位性にも根本的な修正を行い、平等で持続可能な循環型の定常型経済、脱成長型コミュニズムを提唱していた。

そしてコロナ禍での対応がそうだったように、危機の時代には、米国やブラジルのような「気候ファシズム」・「惨事便乗型資本主義」や「毛沢東ファシズム」、さらには強い国家さえ機能しなくなる「野蛮状態」に陥る可能性もある。

そこで未来の選択肢として残るのが脱成長型コミュニズムだ。そこでは行き過ぎた市場原理主義・気候ケインズ主義と強い政府とは真逆に、コミュニティの自治と資本主義が「価値」と「使用価値」の対立から失いがちな相互扶助が育まれる。

トマス・ピケティは参加型社会主義を要求するようになり、労働者による「自治管理」・「共同管理」(すなわちコモン)を訴えているが、未だ国家による租税に傾き脱成長には踏み込んでいない。しかし著者は分配や消費のあり方では無く、労働と生産の変革が必要だと言う。実際デトロイトにおける都市農業やデンマーク・コペンハーゲンにおける「公共の果樹」といった住民による「コモンズの復権」の動きはある。

そして脱成長コミュニズムの根幹は①使用価値経済への転換(生産の目的を商品としての価値増大に置くのではなく、使用価値にして生産を社会的な計画の下に置く)、②労働時間の短縮(金儲けだけの意味の無い仕事は大幅に減り、マーケッティング・広告など人々の欲望を不必要に喚起することは禁止)、③画一的な分業の廃止(分業を廃止することで労働そのものを魅力的にし、第一の生命欲求にする)、④生産過程の民主化(生産手段をコモンとして民主的に管理し、意思決定を減速する)、⑤エッセンシャル・ワークの重視(労働集約型産業の重視とそれによる経済の減速)の5点だ、と主張する。

脱成長に向けた合理的でエコロジカルな都市改革はバルセロナにおける脱成長型の気候非常事態宣言「フィアレス・シティ」とワーカーズ・コープ(労働者協働組合)の伝統に見られ、その地方自治体の新たな取り組みが「気候正義(”Climate Justice”)」の実践としてミュニシパリズム(”Municipalism”)と呼ばれ国境を越えた連帯につながりつつある。

これらの動きについてはグローバルサウスからは先進国の白人中心の運動ではないかとの批判もあるが、この批判に応えるためにもグローバルサウスにおける抵抗運動から「気候正義」や「食料主権」を学ぼうとしている。

「人新世の「資本論」」から筆者が要約

このように本書の著者は気候変動の問題を解決するには脱成長型コミュニズムしか選択肢は無く、それはカール・マルクスが晩年指摘したものであり、その萌芽は地方自治体レベルでエッセンシャル・ワーカーがワーカーズ・コープの枠組みを使うことで世界各地で見られる、という。

カール・マルクスの誤解を解こうという研究者としての筆者の意向は理解できるが、本質的にはむしろマルクスにこだわる必要はないのかもしれない。

私は過去のブックレビューで、ワーカーズコープ(「ネクスト・シェア ポスト資本主義を生み出す「協働」プラットフォーム」)によるエッセンシャル・ワーカーによる身銭を切った雇用の創出と楽観的な気候ケインズ主義(「ビル・ゲイツ 地球の未来のため僕が決断したこと」)については一人一人の行動の大切さを指摘したことがある。

本書により改めて気候ケインズ主義に対する不信感を認識した。その上で、資本主義にどっぷりと浸っている我々の生活の中で、脱成長型コミュニズムを主張することは荒唐無稽のように思われるだろうが、一人一人が資本主義と気候変動の問題に本気で関心をもち、まずは何等かの相互扶助のアクション(ワーカーズ・コープ、有機農業、署名活動等)を起こすことで社会が変わるのだと信じることが必要なのではないかと感じる。

最後にSDGsについては過去から日本以外の国では見られない特殊な日本だけの活動という指摘があったが、もし未だあのバッジを胸につけているとしたら、「大衆のアヘン」と言われる前に静かに外すことをお薦めする。


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