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ナシーム・ニコラス・タレブ「身銭を切れ」

タレブの名前は彼の著書「ブラック・スワン」で知っている方も多いことかと思うが、まず最初に正直に私はこの本が初めてであることを申し上げておきたい。

この本を読むまでの知識というと「サブプライムローンの破綻を言い当てた人物、また舌鋒鋭くこの世の真理を突きつける「現代の急進的な哲学者」として知られるベストセラー作家」というものだった。

また読み始めてから「「このパンデミックはブラック・スワンではない」とナシーム・ニコラス・タレブは言う」というWired誌のインタビュー記事を読んだ。どうもタレブは今年の1月26日の段階である論文を発表、その中でウイルスの「非線形的」感染拡大になるだろう、「接触ネットワークの劇的な縮小」などシェルタリング・イン・プレイス(自宅待機)やソーシャルディスタンシング(社会距離戦略)にあたる措置を提唱、「意思決定者は迅速に行動しなければならない」と指摘していた、という。

サブプライムローンの破綻とコロナのパンデミックリスクを言い当てた、という情報だけだと、どうも彼が預言者のように思える人もいるだろう。しかしこの本を読んだ私の印象はむしろストリートファイターに近いものだ。

「身銭を切れ」というタイトルの原題は”Skin in the Game"。辞書によると「成果を得るための投資、個人的な関与」、「企業などで高い地位にいる者が事業を成功させるために自費をつぎ込んだりすること」とある。

本書を通じて彼は身銭を切らない、すなわち自らリスクをとらず科学主義的理論をかざす研究者や大学教授をこき下ろす。タレブは文筆家、大学教授の肩書を持つが、本職はトレーダーだ。リスクをとったトレーティング経験を通じて、運、不確実性、確率、知識の問題を語っており、身銭を切らない研究者たちとは一緒にしてくれるな、ということだ。

タレブは身銭を切っている者にとって明白なこととして次の四点を挙げる。

(a)不確実性と実践的/科学的知識の信頼性

(すなわち戯言の見分け方。理論と実践を切り離すことができるとする知性主義や科学を何かを複雑化することとする科学主義をともに軽蔑する。

(b)公平・公正・責任・相互性といった対称性

(いわゆるエージェンシー問題。企業経営者などリスクをとらない人は無責任。報酬を期待できるならリスクをひきうけるのが道理。アドバイスが間違っていた場合の罰則が存在しない限りアドバイスを生業としている人間のアドバイスは真に受けない。

(c)商取引における情報共有

(例:中古車セールスマンはどこまで商品の事実を公開すべきか。不確実性が存在するにもかかわらず、顧客にそれをきちんと伝えらず、ブラック・スワンが訪れたら、大変稀なこととして、顧客は大損するが、金融関係者は手数料を返すことなく生き残る。)

(d)複雑性や実世界における合理性

(合理性はジャーナリストや軽薄な心理学者から得るものではない。時こそが危ういものを排除し、頑健なものを生きながらえさせる。おばあちゃんの知恵のように地に足をつけることで得る知識は純粋な推論を通じて得られる知識よりもずっと優れている。

ストリートファイターとしてタレブが見てきた身銭を切らない人の事例はこの本を通じて盛だくさんだ。「干渉屋」、「ロバート・ルービン取引」、「(建てた家に住まない)建築家」、「書評家と一般読者のギャップ」、「あなたのためですよ、と言い寄る専門家」、「自分のポートフォリオを公開しない(ファイナンシャル)ジャーナリスト」、「知的バカ」、「コンサルタント」、「三ツ星レストラン」...実名もピケティ、ポールグル―マン、ジョセフ・ステイグリッツ、リチャード・セイラーなど有名どころが目白押しだ。

一匹オオカミのタレブにとって組織は「一定の自由を奪おうとするもの」であり、雇用主は信頼を金で買っており、企業マンは「企業マンらしく振舞」い、従順であることで身銭を切っているという。

従業員とは市場よりも現在の雇用主にとって価値がある人間。その奴隷の最たるものが高い報酬やベネフィット漬けにする海外駐在員だ。本社から遠く離れ、自律的に働くようになる。そして彼らはその地位を離すまいとする。タレブは彼らに次のように忠告する。「自由はタダではない」、「奴隷には大きなダウンサイドリスクがある」、「飼い主に見捨てられた従者は二度と立ち直れない」、「組織の上司による質的な”勤務評定”に生き残りを託している人々は、重要な決断では当てにならない」。組織で奴隷で無いのは営業担当者とトレーダーのみだ、という。

これら「身銭を切らない人」と「身銭を切る人」をまとめると次の表のようになる(「身銭を切れ」93ページより引用)。

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タレブは基本的にはリバタリアンでかつ極端なモラリストだ。自分自身トレーダーとして身銭を切って金融業界で勝負しており、同時に副業として数学的算式を駆使して理論家と言われている研究専門家の軽薄な知性を暴いてみせる。またレバノン出身で政治的にもリスクをとっており反対派からの身の危険すらある。

正直彼自身が自らの主張を身銭を切って実践する姿は潔いとは思うが、あくまでもどこまでも彼のような人は異端だ。ガルブレイスが「満足の文化」でいう「裕福な人々」としての身銭を切らない人々を減らす現実的な処方箋があるというのだろうか。

実践無き理論を認めないなど、タレブの主張は二元論的で妥協は無い。身銭を切る者が人生ずっと身銭を切る訳でも無く、身銭を切らない領域との間を行きつ戻りつするのが現実ではないのだろうか。また身銭を切らない、とされている人であってもリスクフリーでは無いのではないか。

ここまで書いて過去にある本を読み終え同じような感想を持った経験があることに気がついた。アイン・ランドの「水源」だ。フランク・ロイド・ライトをモデルとした小説で、利己主義を唯一の生き方とし、セコハン人間を認めない、という同様の二元論だった。

この本の巻末には彼独特の用語集と「専門的な付録」として算式が並ぶ。彼はこういった算式を盾に、ポールグル―マンに対しても議論をふっかけたが、うまくはぐらかされたようで、「彼は算式が理解できない」と同情している。

同じく算式が理解できない私の反論についてタレブが認めてくれるはずもないだろう。個人的には「身銭を切るコンサルタント」というのはありえないのかな、と考えないこともない。リスクに見合う顧客の株式を購入すれば良いのかな。


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