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宇多田ヒカルの達観と成熟度に驚かされると同時に自分に悲観しなくてもいい話

宇多田ヒカルさんは、自分が歳を重ねるにつれて、そのすごさに驚かされ続けている。

自分が若い頃は、わぁ〜高校生でこんな曲かけて、こんなに歌えちゃんだ〜すご〜い!みたいな、ほんとに単純な驚きだった。

歳を重ねるにつれて、宇多田ヒカルさんの歌詞とインタビューなどでの話の内容について、もう少し深いレベルで驚かされる。10代でこの歌詞を、このしっかりとした考え方を、と。

驚くということは、「すごいなぁ」という尊敬の感情と、「自分にはないものを持っているんだなぁ」という少しの劣等感の感情の両方がある。

すごいなぁ!というポジティブな感情だけを持てればいいのだけれど、

宇多田ヒカルさんのすごさに対して私は、、、全然成長できてないし、考えがブレブレで甘ちゃんで、、、なんて小さいことに悩んでいるのだろう。。。

など、自分をこてんぱんにやっつけてしまう感情になってしまう時も多い。

ただ最近は、少しだけ前より大きい視点で考えることもできるようになってきた。

宇多田ヒカルさんが若い頃からあの歌詞をかけて、あの考え方を持っているということは、素晴らしいことではあるけれど、その考え方にならざるを得なかった、人よりも心や考えの成熟が早くなるような環境で育ったからではないか、と考えるようになった。

宇多田ヒカルさんの人生がどうこうという話ではない。彼女の人生があるから、彼女の考え方になっているということ。

それは私にも当てはまる話で。

のほほんと何も深く考えないで若い頃を過ごしていた?私は、きっと、何も考えないででも問題なく過ごしてこれていた環境があり、周りの人も温かい愛情でサポートしてくれて、安全に健康に過ごせることができていたからではないだろうか?

何も考えず甘ちゃんで過ごせてこれたって、実はすごく幸せなことだなぁと感じる。自分の人生、そんな悪くないじゃん。

いまのすべては
過去のすべて

いまのすべては
未来の希望


二階堂和美「いのちの記憶」

というように、すべては繋がっているのだと思う。

何が正解で不正解でという話ではなく、みんながそれぞれの人生を生きて、すべては繋がっている。

だから、誰かのことをすごいと思っても、自分を悲観的に捉えたり卑下したりすることはない。その人はその人の人生を歩んできたから、その人の今があって、自分は自分の人生を歩んできたから、自分の今があるのだから。

その、誰かすごい人のことを知れたこと、出会えたことが、自分の人生にとってプラスになるはず。私は、宇多田ヒカルさんの歌やインタビューに触れられてよかった、私の人生のプラスになっている。

みんな、それぞれ良い人生。

今日も穏やかな一日を過ごせますように。



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