コバシンの親父の話。大学編②

ものすごく厳しい練習をしていた南九州大学の空手部に入部した親父ですが、どのくらい厳しかったかと言うと筋トレは各1,000回が最低ライン。
ついてこれない部員がいると連帯責任で筋トレの数がどんどん増えていくし大学正門までの2キロくらいの急な坂道をダッシュする練習では、上級生に下級生が追い越されたら追い越された人は筋トレ追加などなど・・・
こんな練習を毎日していたそうですが、親父の目標は書物で伝説になっている大山倍達その人でしたので、その程度の練習では足りないと毎晩自主トレを深夜までしていたそうです!!

公園の木に牧藁を巻いて、そこに正拳、手刀、猿臂、中足、背足と初めのうちは少ない数からコツコツと叩き込んでいく中で各所の皮がむけて血だらけになる事も多かったらしいです。
大学の授業をそっちのけで空手に打ち込んできた親父は夏が過ぎる頃にはとてつもなく力を付けてきていたようで、部活での恒例行事となっていた新人への可愛がりスパーである事件を起こすのでした・・・

当時の空手と言えば寸止め空手が支流でしたが、それはあくまでも試合での話で通常練習の中では普通に打ち合ったり、又は試合で頭に来たらルールをわざと破ってぶん殴るというのが当たり前だった時代!!
試合に負けた相手が勝った相手に喧嘩で勝負を挑むなんて事も平気であったような時代で、寸止め空手家が弱いとかっていうレベルの話ではなくて誰もが本気で一撃必殺を目指して日々練習をしていて当時の空手家は本当に強かったと聞きます!!

それはそうですよね!?普通に考えれば今の世の中よりも街中で喧嘩が絶えず不良などが横行していた時代。
今よりもある意味治安が悪かったかもしれません!?
今の世の中の方が殺人事件などは多いと思いますが・・・

そんな時代の空手家の可愛がりと称した集団暴行的スパーリングで親父が起こした事件とは!?

                            つづく・・・

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?