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1人じめの喜び 他者と分かち合う喜び

今日は大好きな絵本のお話から考えたことです
『ねずみくんのチョッキ』をご存知でしょうか
発売から50年経ち、シリーズは40作。
累計490万部売れているロングセラー絵本です
ねずみくんのチョッキ展が先日6月3日まで
松屋銀座にて開催され、これから全国を
巡回する予定だそうです。

○あらすじ
おかあさんが編んでくれた赤いチョッキを着た
ねずみくん。
そこへ動物たちがやってきて、
「ちょっときせてよ」と。
借りたチョッキを着ていく動物たち。
するとチョッキはどんどんのびて・・・
オチは
最後はぞうくんが借りてチョッキは伸びに伸び
そのチョッキをねずみくんが着ると案の定、
大きく伸びてしまった為引きずって帰ることに
でも、
ぞうくんが そのチョッキを自分の鼻にかけ
ブランコに見立て、ねずみくんは笑顔で
チョッキのブランコに乗って、お話はおしまい

私はこの本と出会った時期を忘れましたが、
保育士になるための短大在学中に出会った
気がします。
私が初めてこの絵本と出会った際、
絵が可愛いのですが、最後の方で、
大好きなお母さんに編んでもらったチョッキが
まさかの伸びに伸びてしまって、
落ち込みながら引きずって帰るねずみくんの
後ろ姿の絵がシュールであり、
何だか悲しみを感じたのです。
そこにちょっと引っかかる私がいました。
とはいえ、最後の最後は
チョッキがブランコになり笑顔のねずみくん。
これで悲しんだ私の気持ちは救われました。

様々な思いでしたが、
子どもたちに保育園で読むと、大ウケ。
結果、自分用に購入していた私です。

年月が経った今読み返すと、
やはり昔浮かんだ気持ちと同様で、
まず浮かんだ気持ちはねずみくんが可哀想と。
大好きなお母さんに編んでもらったチョッキを
着たねずみくんを見て、
アヒルさんが「貸して(着させて)」とお願いし
ねずみくんが「いいよ」と優しい気持ちで貸す
この他人(ねずみくん)の大切なお洋服を
伸ばして着ているアヒルさんに、
お友達のサルさんが「貸して」とお願いし、
他人のお洋服なのに、勝手に「いいよ」と
また貸ししてしまうのです。

所有の概念がこのやりとりに全くありません。
これを人間関係で起こしたら大問題です。
もちろん、これは子ども向け絵本であり、
所有の概念 云々を当てはめること自体が
ナンセンスとは理解できます。

では視点を変えてみる。
そもそも、所有の概念を覆すことを軸にした
絵本であるのかもしれません。
ねずみくんが 大好きなお母さんが編んでくれた
チョッキを 大事だからと自分1人だけで喜び
着ていたならば、喜びは1人じめ出来るけど、
他人と共有できる喜びは一切ありません。

一方で、絵本のストーリーでは
ねずみくんからアヒルさん、サルさん、、、と
様々な動物たちを経てぞうくんに至るまで
多くの動物がチョッキを着用し、喜びを感じる
機会を得ています。
更に最後は別のモノ=ブランコ になり、
ねずみくんはブランコに乗る喜びも得ています
大好きな大切なチョッキを共有する事
すなわち
所有の概念を手放したことから、ねずみくんは
他者との分かち合う喜びを得ているのです。
更にプラスしてブランコに乗る喜びも得られました。

もちろん、1人じめの喜びはあって良いですし
大好きなお母さんが編んでくれたのですから
誰にも貸したくない!との意見は同感です。
ただ、視点を変えたら、他者と共有出来たなら
皆で嬉しさを感じあえる喜びも得られるのです

"1人じめの喜び 他者と分かち合う喜び"
これは相反するように思いがちですが、
絵本から、1人じめ→分かち合う喜びに
変化することを学べました。

では実際、自分が1人じめしたいものを
他人と共有出来るかと言うと、難しいです。
ただ、ねずみくんを思い出すことで
所有の概念を取り払い、
分かち合う喜びの共有をすることはあっても
よいのでは、と思えました。

今日も1日が始まりました。
自分の機嫌を取り
気持ち良い1日を過ごします。

#ジブン株式会社マガジン

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