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人を好きになるとは

こんちは、かわこうです。

今日は珍しく、恋愛的な話をしたいと思います。

最近普通のドラマだったり、恋愛リアリティショーにハマって観ていますので、いろいろと思うところがありまして。

特に恋愛リアリティショーは、「バチェラー」とか「テラスハウス」とか最近だと「おおかみちゃんには騙されない」とか「ラブ・トランジット」とか、面白いのがたくさんありますね。


さて、人が人を好きになるということに対して、みなさんはどういう価値観をお持ちでしょうか。
ここでは恋愛上の好きという意味合いです。

もちろん、人のどこを好きになるかなんていうのは人それぞれ違って尊重されるものなので、正しい・間違いなんてものはないはずです。


僕も若い頃にいろんな恋愛をしていましたが、最終的に妻と結婚する時に思ったことがあります。

たぶんドラマとかメディアの影響とかだと思うんですが、相手のどこが好きかっていう話に疑問を持つんです。

よくありますよね、芸能人の結婚会見でも「◯◯さんのどこに惹かれたんですか」という質問があって、それに答える。
結婚披露宴とかでもよくそういうやりとりがあると思います。

そういったことの影響で、何か好きになるポイントを言語化できないといけないんだ、みたいな雰囲気がある感じに疑問符が付くんです。

もちろん、場面によっては言語化することによって相手を喜ばせるという側面はあると思うので、これを全否定するつもりはありません。

が、僕ら人間は元々チンパンジーとかから分化したただの動物の一種です。

他の種族の動物がわざわざツガイを探すのに、各論のポイントを持ち出すでしょうか。
そんなこと考えていないですよね。考える力がないとも言えるかもしれませんが、まぁ直感しかないでしょう。

人間にはそれを考える力があるとは言え、こと恋愛という人間だけではない大多数の動物にとって根源的な営みにおいて、わざわざそれを複雑にする必要があるのか、と思います。


つまり、何か分からないけど、「好きだ」。とか、何か分からないけど「一緒にいたい」何か分からないけど「あなたに性的な欲求を感じる」とか、そういう根源的なポイントが本質なんじゃないかと僕は感じます。

その上で、現代の人間社会というのは既に複雑化されたものとして存在しているので、恋愛がそのまま結婚になるかどうかは別かもしれません。お互いを取り巻く状況とか、将来の見通しととか、いろいろあると思いますので。


考えてみたら、「あなたのこんなところが好き」とか、いくつかポイントを並べられるより、「何か分からないけどめっちゃ好き」みたいに言われる方が僕は嬉しいかもしれません。

ポイントを並べられて、例えば「優しいところ」とか言語化された瞬間に、替わりの効く存在になるような感じがします。
優しい人なんて他にもいくらでもいるので。

確か妻と結婚する前も、こんな感じで「あなたのどこか特定のポイントが好きなんじゃなくて、何か分からないけど、あなたという人が好きなんだ」みたいな話をしたと思います(たぶん笑)。


ほんとにたぶんドラマとかメディアの影響なんでしょうね。
そういう言語化がないと、成り立たないのでね笑。
まあ仕方ない部分もあるのかな。

現実の恋愛では、僕はそんな風に、ポイントを言語化するよりも、もっと引き寄せられる直感みたいなものが大事なんじゃないかなと思います。

僕の恋愛の話が誰のタメになるのか分かりませんが笑
読んでいただきありがとうございました。

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