見出し画像

読書記録『南後由和「ひとり空間の都市論」』

都市においての発明のひとつが、「ひとり空間」を作り出したことかもしれないとこの本を読んで思った。

ここでの「ひとり空間」は、一人であったり、独りであったりといった、単位としての「ひとり」ではない。
状態としての「ひとり」である。家と職場ないし学校等の行き来のあいだは電車に乗っていたり、カフェに入ったり、大抵ひとりである。この状態のことをいう。よって、本書においては、「ひとり」であることは正常である。

さらに、シカゴ学派の都市社会学者ロバート・E・パークを引いて、都市の魅力を「あらゆる個人が都市生活の多様なあらわれのなかのどこかに、彼が羽を伸ばしゆったりできる種類の環境を見いだす」ことができる点をあげている。問題は、その羽を伸ばしゆったりできる環境は、外部のサービスに依存していること。

そのうえで、終盤に言及している、都市の「ひとり空間」の行方がおもしろい。
最終章では、P2Pプラットフォームの登場を軸として、
個人と個人がつながること、スキルや制作などの「生産」に媒介された結びつき、顕名的・持続的、過剰な接続指向(オンライン、オフライン共)への脱却がテーマだとしている。
また、鴨長明の方丈記を引いて、「どのようにして生活を維持しながら引きこもるか」と問うている。

長明は、山奥にこもりながらも、周囲から完全に接続されていたわけではない。数時間歩けば京都の町中に出られるところに方丈庵を構え、竜巻や地震という自然災害、火事や飢饉の様子を観察しながら『方丈記』を執筆した。

都市においては、ひとりは正常なことである。であればそこから端を発して、「ひとり」と「みんな」をどのように脱構築し、引きこもりながら生活を豊かに生産できるかを考えていくのがいいのかもしれない。

この記事が参加している募集

おうち時間を工夫で楽しく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?