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明日をまなざす今日はどのような場であるか。UMA/design farm Exhibition Tomorrow is Today : Farming the Possible Fieldsを観て

デザイナーの原田祐馬さん率いるUMA / design farmの展覧会にいってきた。個人的な関心と今回の展示およびタイトルが符合しそうだったので、備忘録的に残してみる。

UMA/design farm Exhibition
Tomorrow is Today : Farming the Possible Fields

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そもそもこの展覧会にいこうと思ったのはこちらのレビューを読んだから。

上記記事内容一部抜粋
<「Tomorrow is Today」とはどういうことか?>
I’ve been living for the moment
But I just can’t have my way
And I’m afraid to go to sleep
Because tomorrow is today
その日暮らしで生きてきたけど、
自分のやり方が身についていない。
眠りにつくのが怖い。
明日は今日の繰り返しだから。

これは、ビリー・ジョエルのソロデビューアルバム(1971年)に収録された「Tomorrow is Today」という曲の出だしの一節。めちゃくちゃに暗い(後半もずっと暗い)。トゥモロー・イズ・トゥデイ。明日は今日であるという言い方は、今日も明日も変わらないということでもあって、ゆえに彼が歌うこの人にとってはこれ以上ない絶望(最後には自殺がほのめかされる)となる。まさに遺言だ。
対してUMA/design farm(以下UMA)展のタイトル「Tomorrow is Today」が、添えられた写真や特徴的な手書きフォントで届けるニュアンスは、一転して、未来は今日の積み重ね、といったものになるだろうか。

では、ビリー・ジョエルの「Tomorrow is Today」と本展覧会タイトル「Tomorrow is Today」の違いはなんなのか。

ビリー・ジョエルの使っている「明日は今日の繰り返し」は、「毎日毎日同じことの繰り返し」というようなことだろうか。そこでは「今日」は記号としてしか存在しておらず、意味は特にない。日々の生活は眠ることによって区切られ、「今日(Today)」を繰り返しているにすぎない。
もしかしたら、はるか昔、言葉を獲得する前の人間はその繰り返ししかなく、今日(Today)という概念も明日(Tomorrow)という概念も存在していなかったかもしれない。

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対して、UMA/design farmの使っている「今日」および「明日」には意味が帯びており、生きられた言葉のように振る舞う。その日暮らしであったはずの「今日(Today)」に「明日(Tomorrow)」という言葉を立てることによって、よりよく生きることや生き生きと生きることの意思が宿る。


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ここでデザインそのものについて考えてみる。
この写真はUMA/design farmが考えるデザインであり、上から

1.魅力を最大化する
2.バラバラになったものを組み立てる
3.世界のバランスを考える
4.なにかの媒介になる
5.目に見えない新たな関係性をつくる

としている。ビジュアルと言葉が呼応し、とても整理され、ステートメントとしても機能しているのが素晴らしかったが、もう少し立ち返って考えてみたい。
そもそも、デザインは【de sign】つまり「しるしを脱すること」であると言われていて。
ここでのしるしは記号であり、象徴、さらに言えば「(対象に対して)そういうものだ」というような意味の固定をあらわす。
対してデザインは、対象からしるし:慣習、構造、「そういうものだ」を見出して、そこから脱する営みのことなのではないか。

「Tomorrow is Today」は、しるし的かつ繰り返しにすぎない「今日(Today)」から「明日(Tomorrow)」見出すこと。それはより人間的営みに近づくだけでなく、脱しるし的:デザインが入り込んでいることである。

では、明日をまなざす今日はどのような場であるか。
それはタイトルのTomorrow is Todayに続くFarming the Possible Fieldsがキーになっており、可能性のある場を耕しておくということなのであろう。
今回の展覧会で並んでいたプロジェクトは、どれもカラフルであり、生き生きとしていて、まさにFarming the Possible Fieldsな展示であったと言えるかもしれない。

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