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読書記録『若林恵編「NEXT GENERATION BANK」』

元WIRED編集長の若林恵さんが編集したムック本。今現在進行・変化している分野なので結論めいたものは残さず、雑誌的に未来の予感をつかむ試み。

テクノロジーによってあらゆるものが民主化していくのであれば、銀行もそうであろうという見立てのもと進んでいく「NEXT GENERATION BANK/次世代銀行」特集。

さまざまな論考とも非常におもしろいのだが。本書で特におもしろく、でいて内容を咀嚼できず何回も読み返してしまうのが、テックシンカー/ダグラス・ラシュコフの唱える「デジタル分散主義」だ。

彼が言うにはAmazonやUberのような企業を「デジタル産業主義」と名付け。それらは「指数関数的な成長」を目的として「プラットフォームの独占」を目指し「価値の破壊」へ最適化される。また、一つ前の産業主義とデジタル化が組み合わさった存在として1990年から2015年に出現したという。
しかし、その負の部分が見えてきた今、社会はデジタルテクノロジーが本来持っていたポテンシャルを発揮するために、脱皮しなければならないとする。

本書によれば、それらを「デジタル分散主義」と名付け、「持続可能な繁栄」を目的として「プラットフォーム上の協働」を目指し「価値の交換」へ最適化するものとした。たしかに、インターネットが出現して以来、GAFAなどと呼ばれる企業が世界を覆いつくしたが、はたして僕らが待ち望んだ未来はこんなんだったのかと思わないでもない。

世界中にひろがりバラバラであるはずの自分たちを、アプリ(をインストールさせられてその中)にぶちこむことがホントにデジタルテクノロジーのあるべき姿なのだろうかと。もちろん、あり方のひとつとしてこの形は十分あり得るし、なにより世界中の人々に使われているのは事実である。
であるが、もっと別様な使われ方がありえるかもしれないと考えてもいいのではないか。それの一つの形が「デジタル分散主義」なのかもしれないと思えた。

なにより、今この時代は、まさに集まることを避けるようになっている。しかし、オフラインで集まることを避け、オンラインで人が集まるようになればいいのだろうか(それって、けっきょく今までと変わってなくないか?)

そうではなくて、もっと人々が分散的に(オフラインでも集まって)コミュニケーションをし、価値の交換を行うことがあってもいいかもしれない。
本書における、デジタル分散主義はそれらを考えるうえでヒントになるアイデアになり得る。

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