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読書記録『松岡正剛「空海の夢」』

仏教の要訣とは、せんじつめればいかに意識をコントロールできるかという点にかかっている。

この本の表紙にも書かれているこの一文。おそらく意識について考えることは、仏教だけでなく、人間である「自分(我)」について考えることにつながる。
どういうことか。意識をコントロールするに際して、社会に生活の只中にいることは困難をともなう。なぜならそこには人間関係をはじめとした、さまざまな障害があるからだ。そこで仏教は国家や社会を切断することによって反生活的な状態をつくり、意識を扱いやすくした。しかし、はたして人は反生活的でいいのかとなる。そこで再び、生活の起源である「生命の海」に飛び込むことが肝要である。空海をよみなおすことで「生命の海(関係性の海)」への投企の一助となるのではないか。この見立てから本書ははじまる。

正直、この問いへの回答は僕自身未だに捉え切れていないのだが、本書の終盤に出てくる「重重帝網」が鍵になるんじゃないか。

まず互いに映しあう主体がすでに鏡球(宝珠)になっている。したがってこの鏡球には十方四周のあらゆる光景が映りこむ。そういう互いに互いを映しあう鏡球が一定の間隔でびっしりと世界をうめつくす。ということは一個の鏡球には原則的にはほかのすべての鏡球が包映されていることになり、その一個の姿はまたほかのどの鏡球の表面にも認められるということになる。

重重帝網のイメージ説明であり、これがインドラ・ネットワークである。つまり、網(ネットワーク)であり、その網の各点に映っている鏡像が自分そのものなのであると。
それらを他者とも映しあい、小さいながらも網をつくっていけないものかと思っている。


そのほかにも、示唆的な記述がいくつかある。
たとえば、砂漠(西洋的なもの)では判断中止はそのまま死を意味するが、森林(東洋的なもの)ではその死を見つめることすら発達するという、「判断中止の思想」についてなど。

インナーワールドへ入っていくことや、引きこもりが肯定される時代。
再び生命の海へ飛び込むために必要なアイデアが埋め込まれている。

仏教だけでなく、宗教について、コモンズについて、コミュニケーションについて、意識について、人間について、東洋から照射して見えてくるものに溢れている一冊。


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