こんにちは、黒い過去です。
明細を見た私は正直良く分かっていなかった。
保険も家賃も入院にかかった費用でさえも
何も知らなかった。
それだけ世間知らずであったということだ。
この時の私は、この「96,000円」という金額に対して
少ないとは感じたものの、それ以降完全に気にしていなかった。
今となっては考えられない話ではある。。。
(名目上)1か月が経ち、キッチンとホールの研修を入れ替える
時期になった。私はホールに転向だ。
ホールはアルバイトの時に経験があるので、、
あったはずなのだが全く通用しなかった。
ドリンカーに入れば作るのが遅すぎて遅延の連続、
ホールではオーダーミスの連発。
挙句の果てにはお客様からクレームをもらってしまうことも。
とにかく何もかもが上手くいかなかった。
そう、単に自分に自信が持てなかったのだ。
この時期の私のテーマソングは
藍坊主の「ウズラ」という曲だ。
これも有線で毎日流れていた。
この頃は誰が歌っているのかタイトルが何なのかさえも
分からず毎日口ずさんでいた。
この歌の詳細を知ったのはそれから数か月後だった。
この時は毎日が目の前のことで一杯いっぱいだった。
仕事が終われば家に帰って寝る。
そして起きてまた仕事、、、
そんな状態が続いていた。
2か月が経った頃、ようやく体が動くようになってきた。
さすがに慣れてきた。
徐々にみんなともコミュニケーションがとれるようになり、
とれるようになったからこそ仕事が上手くいきだしたのだ。
この時、私は初めてこの仕事に「やりがい」を持てるように
なっていた。
そして3か月が経つ頃、研修期間が終了する。
これから同期4人別々の店舗に異動となるのだ。
異動の店舗発表前日、同期4人でいつもの
「日暮里食堂」に久しぶり行った。
出会いがあれば別れがある、これが社会人だ。
この数週間前には店長が私達より一足先に他店舗に
異動していた。西日暮里店よりも更に売上の高い
「高田馬場店」に行っていた。出世街道まっしぐら。。
この4人の中で私は一番成長が遅いのは誰の目から見ても
分かる事だった。
異動してから心機一転、私は新天地での成長に全てをかけた。
そして翌日。
4人は店長の下へ。。
「これからそれぞれに異動店舗を伝えます!」
気合の入った声で店長が言った。
異動店舗は、
この4人の中のリーダーのK君は「西日暮里店」に残留。
一番動けていたし、皆彼を頼りにしていた。
ホールもキッチンもしっかりこなせており、残留して
ポジションとしては「副店長」としてのラインに乗ることに。
私にはまだまだ先の事だ、、
お調子者で4人の中では次男的なW君は「野方店」に異動。
彼は不器用ながら真面目でここ最近の成長が著しかった。
店舗規模は小さくなるがその分与えられる仕事量は格段に上がる。
唯一の女の子Kさん。店舗は「新大久保店」。
彼女はホールの接客がピカイチ。
異動後はホールをメインとして店舗の空気を変えて欲しい
と言われていた。期待されている。
最後に私。店舗は「高田馬場店」だった。
そう、以前の店長とまた同じ店舗となる。
私の体調を加味して、なじみのある上司のいる所に
異動ということだ。
そしてこの店舗、かの有名なW大学がある地区。
卒業式には一日300万を売上げ、月トータルでもグループ店舗で
常に上位の店舗だ。
私はここで自分を成長させる事を心に決めた。
この時、これまでに感じたことの無い緊張感が体に走った。
※今の時代、まだこんな会社はあるのだろうか?
あの頃から考えると、「働き方改革」なんて想像もつかなかった。
残業が当たり前。定時で帰る事は許されない。
1か月、2か月休みが無いのなんてざら。
今となってはなんであんなブラック企業でと思うが、
あの頃はそれが社会の当り前だと思っていた。
本当にそう思っていたのだ。
そして辞めたくても辞める事に対しての恐怖感が襲う。
私はここで働いた3年で感覚が狂いました。
そして今もその色々な「癖」がとれていません。
それでも、あの経験があったから今がある。
そう感じています。私は誰よりも強くなった。
負けなくなった。
そこだけはあの時代に感謝しています。
ここから、更に斜め上を行く出来事が頻発します。
どうぞ、こんな世界もあったのだと感じてもらえると嬉しいです。
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