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ローザス 我ら人生のただ中にあって/バッハ無伴奏チェロ組曲

磯崎新が「粗大ゴミ」と称したとか(ご自分の建てたものはどうなのかと時に問いたくなるが、少なくとも「粗大」ではないぜということか)…東京都の都市計画が元々問題山積の上に、付随するプランが頓挫したという不運も相まって、あまりにも評価の低いこの芦原建築、東京芸術劇場。確かに時代のトップランナーとは言い難いが、ここで観た数々の舞台や参加したワークショップなどの想い出がどれもあまりにも素晴らしく貴重なものであるがゆえ、この建築に足を踏み入れるたびに、毎回ノスタルジーの蓄積が更新されながら凄まじい威力で目の前に迫ってくるような鳥肌の立つ体験をする。「かつて新しいどこか懐かしい」この建築ならではの体験じゃないかと勝手に思っている。

あと、言うまでもなく、舞台の力だ。机上のあれやこれや(時に正論さえも)一瞬にして凌駕してしまう、時が経っても色褪せるどころか鮮明さを増す、生身の人間がパフォーマンスで放つ力。なかでも思い出深いのはやはりローザスか。今回もローザス。建物に入った瞬間から、劇場体験は始まっているのかもしれない(というくらい緊張感と高揚感が持続していた)。それを無骨ながらも誠実に演出するこの建築は、個人的にはそんなに悪い箱じゃない。

舞台芸術は大概そうだが、鑑賞後、即論理的に言葉にできることは少なく、じわりじわりと余韻の波が押し寄せる。中でもローザスは別格で、リアルタイムで受け取ったことを、反芻しながらゆっくりと熟成させていくように、ひとつの舞台を時間差で何度も味わっている感がある。このあたりも、絶妙なズレと一致を反復しながら進んでいく彼らのステップの軌跡と一致しているように思えてならない。綿密で深い考察に支えられた作品の底力を思い知らされる。今もなお。(いつになったら感想が書けるだろうか)

本日の同伴者はわたしに舞台芸術の扉を開いてくれた恩人。鑑賞後に、あれこれと余韻に浸りながらの一杯を飲む幸せは、言葉にし難い。

ローザス 我ら人生のただ中にあって/バッハ無伴奏チェロ組曲  Rosas Mitten wir im Leben sind/ Bach 6 Cellosuiten  2019年5月18日〜19日 東京芸術劇場プレイハウス

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