クライテリオン「基準」の大切さに気付いた人へ

結論から言えば、自分の周りには同志がいない。
話を聞いてくれる人は一人くらいはいるけど、あなたの言っていることは正しいけど、一緒には行けないといった関係だ
知識は共有できても、基準は共有できていない


人間がまっとうに生きるためには基準が必要だ
決して犯してはいけないタブーという基準
目指すべき理想、困窮者や弱者を減らしていくというためにできることをやるというハードルとしての基準
理想や目標を失えば、思考は停滞する。タブーを失えば人は暴走する
健全かつ持続可能な社会に近づけるにはタブーに気を付けながら、されど理想のために動き続けるしかない

日本人であることはうれしいことであることを歴史から学んだ
日本人の優しい気質や謙虚で自然とともにあった歴史は持続可能で弱者を助ける生き方の目標である
けれど、その気質は戦後の自虐史観によってだいぶ抑え込まれている
もったいないことを日本人自らが行っているといえる
人を信じやすいのは美点だが、だまされやすい難点でもある
日本人であることは喜ばしいが、欠点は補えるように改善を加えていくことは必要だ

同じ志を持てる人と会ったことがない。
弱者を助けるというのは簡単だが、タブーは犯さずに持続と改善を続けるのはとてつもなく難しい
やりたいことと必要だと信じられる基準を両立できる人は本当に少ない
けれど、その希少な人が今の日本には必要だと思う

自分の考えに共感してくれた人は気軽にコメントをしてほしい
一人で学び、一人で考えているだけなのはいい加減限界である
話し合える人、学びを深めあえる仲間との出会いをいつでも待っています

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