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龍の背にのれ!④

整然と雑然 感情の選択

小学校低学年の頃、一時期特別学級に入れられていた事がある。
理由は覚えていないが、他の父兄からの要請であったことを後々両親から聞いた。

集団生活に必要なある程度の均質化を求められる学校生活の中で自分の一体全体何が欠けているのかがわからず、時は過ぎていった。
中学校に進学しても、成績も振るわず、ある教師からは露骨に嫌われたり、担任から『ヒレヨ君は大丈夫!』というようなかえって不安を煽るような言葉が続いた。学校生活では不信感と疎外感をずっと抱え続けてきた。

転機となったのは、新聞社に勤める伯父の家に遊びに行った時、そこで大量の本達と出会ったことだった。
本、本、本が所狭しと並び、階段一段一段までもが本棚へとブリコラージュされた そこはお菓子の家ならぬ、まさに“本の家” だった。

整然とした学校の図書館とは違い、そこは混沌としたジャングル。食べられるものもあれば、毒のあるものもあった。
部屋から部屋へと探索すればそこにはゾッとするような表紙の本だって刺激的な写真集だって見つかった。

千葉県郊外の伯父の家は比較的大きく、各部屋は本で埋め尽くされていた。伯父は中学生の私にどの部屋へのアクセスも許し、全ての本を自由に触らせてくれた。

寛容な伯父の人柄もあったが、私はたちまちこの書物に囲まれた雑然とした環境の虜になった。

それから本が私の教師となり、漫画・小説・エッセイ、専門書、読んだ本は次から次へと私の脳内の神経新生に影響を及ぼした。

コミュニケーションに欠点のある自分にとって、人格形成の重要な時期に本の中の巨人たちと対話することができたこと。 それによって
自分の立ち位置を観察する、客観思考、
人の立場になって考えてみる、複眼思考、
そして時に巨人の肩に乗ることだって出来るのだという視点を変えて世界をみるスキルを読書によって少しでも身につけることができたことは自分にとって大変有難い転換点となった。

そして偏った知識だったかもしれないけれど、辛うじて大学まで進学し、不器用ながらも社会と折り合いをつけながらなんとか今に至った。

私は書物によって生かされている。

前置きが長くなってしまったのでシンガポールに話を戻そう。

さあ、シンガポール移住に向けて、本日面接は2件。
まず午前中は、外資系ソフトウェアの超大手企業。仕事内容は日本人顧客向けコールセンター。

場所はハーバーフロント地区。
シンガポール島南端のシーサイド地区で目の前にはリゾートアイランド、セントーサ島も望む好立地で観光客なら誰しも訪れるような人気スポットだ。



会社は誰もが知るビッグネームのASEANヘッドクォーター。
オフィスの存在感は圧倒的だった。

恐縮しながらもシンガポール人と日本人の担当者との面談が始まったが、簡単な挨拶と自己紹介のみ。
そして終わった途端、なんと契約社員からのスタートならという条件付きなら、採用検討してもらえるとの回答をもらえた。

昨日とは打って変わっての好スタート。

こんなに洗練されたオフィスで、素敵な人達と仕事が出来るなんて。
今の自分の実力値を考えると、認めてもらえるまで契約社員からというのも仕方ない。

ところが申し分ないスタートと合理的に考える一方で、
何か違和感がある。

何故だろう、自分を観察してみると。
口の中が渇いて、手先が冷たくなっている。
興奮とは違った警戒心のドキドキ感。
全身の反応で脳にフィードバックをかけている。

そのうち不十分な面接では見つからなかったボロが出て結局うまくいかないのではというイメージが頭に浮かんできた。

開放的なオフィス、でもその一方で規格外のものは留まることを許さない、画一的でかつ排他的な雰囲気。

私はこの環境で適応できるのだろうか、過去の経験と同様、規格外となってしまうのではなかろうか。

そんなことを考えながら午後の面接に向かった。

場所はシンガポールシティエリアの中でも比較的庶民の街、ブギス地区。
駅を降りるとそこはすごい人混みと活気。
だけどそこはラッフルズプレイスのようなオフィス街の人混みとはまるで違うローカルの活気。

日本で例えるなら昔の秋葉原のような場所でジャンクな電気店などが立ち並んでいる。
中でもSim Lim SquareはコアなITギーク達の集う怪しげで一言様には少し敷居の高い商業ビルだ。

Sim Lim とは中国語で “森林” と書く。
面接まで少し時間があったので、Sim Lim ジャングルを探索してみた。
各フロアごとに取扱製品が別れており、同業のショップが乱立競合している。
同じ製品なのにショップが変わると表示価格も違ってくる。
また大型店ではきっと取り扱えないであろうソフトウェアや動画ダウンロードデバイスなんかも売られていているが、どこまでが合法なのかもよくわからない。
さらに奥地に入っていくと、用途のわからない装置を売る店や、ゴミのようなPCの部品が雑然と置かれた店もあり。全身タトゥーの若者やITとは縁のなさそうな派手な女性たちが店内を出入りしているのもいよいよカオスな感じだ。

私はそこでなんとも不思議で懐かしい気分を感じながらビル内の面接先オフィスへと向かった。

紹介会社の担当の方からはシンガポールに在住のローカル日本人が個人で設立した小さなIT会社(Bシステムズ)で、とても個性的な社長さんですよ。とだけ聞いていた。

冷房のよく効いたビルから一転、扉を開けると部屋からモワッとした埃っぽくて蒸し暑い空気が身体を襲った。

中から目の覚めるような蛍光色のくたびれたシャツと半ズボンにサンダル姿の浅黒い年配男性が頭をかきながら現れた。『よ、よく来たね。』その一言で
この方が “ 個性的な社長 ”だということに気付かされた。

早速私は挨拶をすませ、プリントしてきた履歴書を手渡したが、それには目を通そうともしない。

そして一方的に
『K、Kevinは優秀なプログラマー』
『T、Trinaは総務件、経理。でも性格キツイから気をつけた方がいいね』
『あ、あと、に、日本人チーフの中野さんとはうまくやらないとまずいよ。それがこの会社でやって行く か、鍵だから。』
などと誰もいない土曜のオフィスで不在のスタッフの紹介を一方的に始めた。

はは、
まだこちらの自己紹介は何もできていないというのに。

そしてその話し方に私と同じ吃音の症状があることで何処か安心感すら覚えてしまった。

2時間くらいの会話が終わる頃には、まだ会った事もないこのBシステム社のスタッフのことに興味を持ちはじめていた。

条件面ではどこをとっても午前中に面接した会社にした方が合理的だ。

それでも自分の身体は午前とは対照的な反応を示している気がする。

手指に血が通いよく動く、表情も柔らかくリラックス、それでいて程よい前向きな興奮を両立できているような。
何より脳がこの環境を喜んでいる気がする。

私のソマティックマーカーがこの会社に行きたい、と懸命に信号を出しているのだ。

今この時、この判断を誤ってはいけないとばかりに、帰る頃には、I社長に『是非ここで働かせてください。』と
頭を下げていた。

自分の決断にさっぱりとした気持ちで外に出てみると目の前のタトゥーショップの隣に床屋が見えた。
「なんだか急に髪が切りたくなったゾ」
急な思いつきで、とても衛生的とは言い難いその床屋で伸びていた髪をバッサリと切ってもらう事にした。
料金は8ドル(700円位)。 
切れ味の悪いハサミで散髪をされていると店員にハサミで頭を小突かれ、頭から少し血が出ていた。
少し歳のいったその店員から『おい、頭動かしちゃダメじゃないか』と注意された。

ははは、まあいいか。
自分はそれでもなぜか不思議と嫌な気持ちにはならず、笑みすらこぼれた。

自分はこんな雑で混沌な環境が好きだ。

混沌に目鼻を開けたら、そこにいる住民も、そして混沌すらも死んでしまうのだ。

不安もたくさんあるけれど、シンガポールの第一歩はまずここから始めよう。

よし、これで龍の尻尾に手がかかった。

<<ワード>>
<ソマティック・マーカー仮説>
外部から得られる情報によって呼び起こされる感情や身体反応が、前頭葉にフィードバックをかけ物事の判断、効率的意思決定に寄与しているという仮説。
感情を排してロジックだけで理性的に判断するべきという説とは対照的。

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