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どうか、走馬灯では手を握ってください


硬いシーツの上で何かを探すように指を沿わせる。
狭間にいる。うまく息ができないまま、終わりゆく今夜をゆれる。
行きつく先が果たしてどこなのか。誰なのか。考えているようで働かない瞬きのような思考を巡らしては、濡れた胸元を想った。
同じ皺でも、あの柔らかなシーツと布団とは似ても似つかない。アイスコーヒーを頼んだ。
笑う顔を愛おしいと思えないのは、隣に居たくないわけではないにせよ、いるべきではないだろう。あなたはホットコーヒーを選んだ。
朝を迎えて虚しくなったのは久しいことだった。おはよう、と言いたくなるのは愛なのだと知った。知らない間に愛を持ち、愛を失くしていた。
いつまでも続くと思い込んでいた昼下がりをもう味わうことがないことに気がつく瞬間ほど、がらんどうになるものはない。
どうか、走馬灯では逢わせてください。
紫煙がくゆる生ぬるく薄暗い部屋のソファに腰掛け、まばゆいテレビの表面だけをみつめていた。
3年前の冬に戻れたら。
暖かかったり寒かったりするこの季節に、誰が誰を想ったり想わなかったりするのだろう。
思い出しただけ、になるのはいつだろう。
波が押し寄せ、引き、僕の足跡が映っている。それを愛おしそうに見る彼女の眼を画面越しに感じる。見えなくても見える。
熱海の波音が鮮明に蘇り、歩道橋の階段に座ってふたりで歌った点描の唄が聞こえる。
あそこに座るふたりは、今もまだ歌い続けている。いつか思い出すまでは。
冷めてしまったホットコーヒーを啜る音で我に返り、煙草に火をつけた。何もかも違うふたりの狭間にいる。ゆれる。
不安定な橋の上で楽しそうに揺れる僕と、僕が下手に巻いた髪の毛を揺らす彼女。
愛していない人に、愛してると言えなくてよかった。
愛してる人に、愛してると言える僕がよかった。
誰かの話をしているとき、その時間を愛おしく想うことのできる相手だろうか。
遠くに行かないで、と言えるだろうか。
狭間が歪む。ここではないと崩壊していく。辺りが暗転し、僕が見えなくなる。誰も見えなくなる。何も感じなくなる。遠くに灯った炎の影には誰が立っているだろう。そこへ行きたい。足がすくみ、瞳が暗闇に適応していく。影が薄くなり、輪郭がぼやけ始め、炎の光が映し出す。
氷が溶けてカランと音が鳴った。




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