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素敵なことってたいてい面倒くさい

「スーパーって何人でくることが多いんだろう?」

こんな唐突な疑問が浮かんで鮮魚売り場の前で立ち止まってしまった。
「これはいいな」とか、「この刺身はちょっと高いな」と主婦さながらの品定めをしていたが、流れる人を丁寧に見始めたら魚よりも人が面白くなった。老夫婦といえる二人連れもいれば、男の子と楽しそうにはしゃぐ小さな女子をつれた母親もいる。動きが止まってただ黙々とサバをながめる初老の男性もいた。

「二人の方がひとりより多く買う?」
「それとも、相談して無駄な買い物をしなくなる?」

こんな勝手な疑問と回答も頭の中で繰り返していた。

メモを見ながら食い入るように商品を見詰める女性もいた。きっと今日のおかずは既に決めていてその食材を探しているのだろう、計画的な人だ。紙の代わりにスマホを片手に持つ人もいる。どんなメモがどこまで詳しく書いてあるのか、ちょっと覗き見したくなる。文字じゃなくて人気のレシピサイトを見てるかもしれない。

自分の買い物そっちのけで売り場の景色を楽しんでいた。そしてもっと面白いものはないかと店内を見渡してみれば、あるじゃないか、いるじゃないか、小走りに動き回る店員さんがいる。

恰好のターゲットを見つけ、今度はこの店員さんを目で追ってみた。実際に追っかけるわけじゃないからストーカーと疑われることはないだろう。
40歳くらいかな、キビキビと動く動作は見ていて気持ちいい。コンテナの袋入りのマヨネーズを棚に並べるスピードはとにかく速い。右腕が無駄なく機械のように正確な動作を繰り返していた。

おっと、このままでは怪しいストーカーにされてしまう。未練は残るがその場を離れ目的の買い物路線に戻った。

スーパーに行かないとこんな面白いことも発見できない。大袈裟にいえば、街には楽しいことがいっぱい溢れている。でも面白いことを発見したからといって、それがどうこうなるというものでもない。家族にスーパーで見た出来事を話しても「そう。」と軽く適当に返事をされて「何なのこいつ」と面倒くさく思われるのは分かっている。

本屋もそうだ。
スーパーでりんごを手に取るように、本に触れてその重みを感じたり表紙のイラストに魅了される。タイトルや帯の言葉に食い入ることもある。並んだとなりのお客さんはどんな本を手に持っているだろうかと、偶然居合わせた他人の趣味にも興味が湧く。

子供の頃は、なんの損得もなしに面白いと思ったものを発見し、ひとりで目を輝かせてはしゃいでいた。だからスーパーも本屋も行く先々がとにかく面白かった。

今、なんでも通販、なんでもアマゾン、なんでもウーバーイーツと便利になったが、便利は楽しい何かを捨てることになった。奪われた気がする。まあるい楽しみを四角いスマホのなかに無理やり閉じ込めたような気がする。

そして覚えた言葉は、「面倒くさい」

でも、面倒くさいことをしなくなると何をやってもつまらなくなる。

「面倒くさいっていう自分の気持ちとの戦いなんだよ。何が面倒くさいって究極に面倒くさいよね。『面倒くさかったらやめれば?』『うるせえな』って、そういうことになる。
世の中の大事なことってたいてい面倒くさいんだよ。面倒くさくないところで生きていると、面倒くさいのはうらやましいなと思うんです」。

映画監督の宮崎駿さんもこんな言葉を残している。


そして今、めんどくさいことをめんどくさいと思いながら、イライラすることをイライラしながら楽しめるようになった。

これは年を重ねた私の特典かもしれない。

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