鈴木鉄也 / 気づきのマーケティング講座
心が疲れたり悩んで嫌になったとき、そっと寄り添うバラード。すぐ役立つものはすぐ役立たなくなる。
生きる目的を探すことも必要。でも、今は生きたい理由があるだけで幸せだ。そんな軽やかに暮らすために集めたコラム。
ちょっとの気づきであなたの仕事が変わります。そんなヒントを集めています。
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夢の中で時々父親のことを思い出す。顔はおぼろげだが何か話している。聞こうとして顔に手を伸ばすがいつも何を言っているのか分からない。そしてハッとする。「そうだ。もういないんだった」。 忘れることが多くなった。歳のせいもあるだろう。こう思うと忘れることは何か悪いことのように聞こえる。確かにプラスの響きはない。でもふと思い出す。「忘れたから生きてこられた」。思い出すものをいいものと嫌なものと分ければ、どうしてか悪いことが多い。それはお前の過去だからと言えばそれまでだが、不思議と楽
昨夜は蒸し暑い夜だった。しかしぐっすり眠れた。スマホの目覚ましをかけなくても、窓際のカーテンが色づくころに自然と目が覚める。それにはこんな理由がある。 朝の気分を爽快にするために、寝る前は何も考えないことにしている。ベッドの上で色々考えても今は何も変わらない。頭の中に鈍気か濁水か判別できない汚濁が満ちるだけだ。たまに口から出そうになって嗚咽する。そしてまた眠れない。だからすべてを明日に引き延ばすことにした。明日は明日の風が吹く、今日できそうでも明日やる。 そんな朝に限
テレビのチャンネルを変えても食べ物の画面ばかり。味を聞かれたタレントは「スゴイ」「やわらかい」ばかり。そしていつも気になるのが、「安い、安い」のオンパレード。1,000円越えの昼食を安いと大げさに言う。東京はどこに行っても1,000円のランチが安いのか? 地方に住む私はいつも500円の数字を探して食べている。そして地方では誰もがIT企業に勤めてるわけじゃない。工場で油まみれになって400円の日替わり弁当を食べてる人もいる。 それでも美味しい、大満足とはいえないが、そこそ
こんなタイトルの本を見つけた。 ネットの書評を探検するとこんな記述がある。 意味などなくていい。今、この一瞬を楽しむことができれば、それで、十分、あなたの人生は幸せではないですか?意味を求めすぎるから、その目の前にある幸せが見えなくなるのではないでしょうか? (195ページより) 「私たち」は、いや言い直そう。 「私」は人生の意味を見つけるためにこの世に生まれてきたわけじゃない。豊かになるために生まれてきたわけでもない。幸せになるために、幸せをかみしめるために生まれてき
「人生は生かされてるんじゃない」 「生きる人生でなきゃいけない」 「あなたが幸せだと人はあなたを妬むかもしれません」 「かまわず幸せになりなさい」 (マザー・テレサ) 歳を重ねると穏やかになる。私の顔つきも以前より緩むことが多くなったと思う。他人の言葉を不必要に受け取り、勝手に傷つき勝手に怒りを抱いていた。若いときはそんなものだった。 それはそれでいいと思う。新しい細胞が毎日生まれる若いときなら身体も心も自由に動き回れるから、それでいい。でも今は違う。いつも敏感に反応し
カスハラ(カスタマーハラスメント)という言葉が世間にあふれ出した。 あふれた言葉を何度も繰り返していると、その存在を改めて認めたことになる。「嫌がらせ」「言いがかり」と言われた悪行が、カタカナ用語できれいに装飾される。それは怒鳴りつけられたスタッフだけでなく、怒鳴りつけた本人も同じだ。 怒鳴りつけた人は何と思っているだろう。 「俺は違う。ただ相手を正しているだけ」と言い訳するかもしれないが、正すなら別の方法があるはずだ。気持ちの奥に「(立場の)弱い相手を傷つけたい
「一生懸命やっている」 「一生懸命やりなさい」 この言葉の意味は分かりますが、その行動がわからない。 なんとなく分かります。だから、自分にも他人にもこの言葉を投げかけていました でも、言葉を「理解」することと「分かる」」ことは違います。 「なぜ一生懸命しなければいけないのか」 「一生懸命は尊いのか」 「一生懸命に働くとはどういうことか、どう考えることか」 「一生懸命とは具体的にどう行動することか」 ・・・・・・ 改めて聞かれると悩んでしまいます。 私には、こんな「
映画「PERFECT DAYS」を観た。 役所広司が規則的な箒のはき音で目覚め、薄い布団をたたみ仕事着に着替える。無表情で歯を磨き丁寧に髭を揃え、入り口近くに置いてある棚上の鍵と小銭をポケットに詰め込む。ペンキの禿げた古いアパートの横にある自販機で、毎日同じ缶コーヒーを買う。そして仕事用の道具を詰め込んだ車で日が昇る前に出かける。選んだカセットテープを押し込む「カチャッ」という音が懐かしい。英語の曲が流れ始める・・・・・・・。 若い人と私のような年寄りで評価が分かれるよう
こんな人参の収穫を期待していた。でも畑に蒔いた種から今も芽は出ていない。 9月から始めた市民農園で、大根と人参の栽培を始めた。その後、キャベツ、ブロッコリー、玉ねぎの苗も植えた。今ではイチゴの苗も新しい畝に十株ほどある。毎週その成長を楽しみに畑に通っている。 ところが人参だけは発芽しなかった。何故だろうとYouTubeで調べたり他人の畑をそっと覗き見した。市民農園ならではの楽しみだ。楽しいが人参の失敗は明らかのようだ。農家でも人参の種まきは失敗するという、だからそんな
私には世の中という器の底に沈む泥をすくうことはできない。でも自分のくつ底についた泥は洗い流すことはできる。心についたどろも心のみぞに石が挟まっていれば、丁寧にとり除きブラシでみがく。 畑でついたゴム長底の泥はなかなかとれない。だから少し水に漬けて、みぞにこびりついた土を柔らかくする。ブラシでみぞから土を掻きだし、やわらかな布で水気をそっと拭う。 毎回毎回おなじことをする。「またすぐによごれるのに」とひとは笑う。 笑われてもいい。バカにされてもいい。 くつ底についた泥をと
「利益や効率だけで物事の、そして人間の価値を測ろうとする社会が、『老い』を『老人問題』というように『問題』にしてしまっている。 ネットでこんな一文を見つけた。 若い人に比べ利益を上げず医療費などお金ばかりかかり、身体も弱り効率的に活動できない老いた人は問題となる。「老い」はそれだけで問題で、「老人問題」という「〇〇問題」と呼ばれている。 でもここでちょっと考えたい。 その前提に何があるのか? 利益や効率が絶対、という思い込みがあるのでは? 「利益や効率だけで物事
その人の周りには多くの友達が集まり賑やかになる。 いつもニコニコ笑っていて楽しそうだ。 誰からも好かれている。 「明るい人」といわれるとこんなイメージが想像できる。 「あの人のようになりたいな」とか「明るいひとはいいな」と内心思いながら、いつも横目で見ている。明るさを正面で受け取ることができない。造り笑いをしながら、苦笑いを心の中に隠している。比べているのはいつも自分だった。 無理する必要はない。 稲盛和夫氏は「明るい人間」についてこんなことを言っている。
自分の頭が悪いのか? ・・・と近ごろ悩んでイラついて、腹の中にいつまでも不消化な気持ち悪さが残る。こんなときは心の内を書き出してスッキリさせた方がいい。 ジャニーズ問題で、「テレビにも責任がある」と追及されればアナウンサーは、「厳しい意見がありました」「我々も反省しなればいけません」と誰もが同じコメントを繰り返す。今もって用意された原稿を読んでいる。 上の空の「反省」という言葉はいらない。 言うなら「反省しなければいけない」ではなく、「今、大変反省しています」だ。 とて
勝ちにこだわるときは相手を見ている。 自分の価値を高めることはひとりで出来る。 相手は次々と現れる。いや現れるのではなく、自分で生み出している。 仮想敵を生み出しているようなものだ。 でも別の生き方もある。 誰かに勝つことにこだわらず、自分の価値を高めることにこだわり続ける生き方だ。 勝ち続けることはトーナメント図の上を常に目指すこと。 価値を目指すことは、ひとりで螺旋階段を上がり続けるようなものだ。 迷いながらパズルのピースをひとつひとつ埋めて世界を広げるこ
「軽やかに暮らす」の中で「三つのしあわせ」を提唱しています。 三つのしあわせとは ・自分のしあわせ ・相手のしあわせ ・仕合わせ(めぐり合わせ) きょうは「相手のしわせ」についてです。 悩む人間関係の話です。 「相手のしあわせ」を願う。 これはとても大切なこと、もちろんです。 自分の子どものしあわせを願わない親はいません。 でも私は願わない、と決めました。 「願う」ではなく、相手がちょっとでもしあわせに近づいたとき、いっしょに「喜び」ます。 「相手のしあわせを