君の声が聴きたい
これを読んで何かためになることはない。そうそう、この話にはこんなオチがあってこれを伝えたかったと、始めから意図するものも無い。何となく自分の周りに巻き起こる風景を描いている。繰り広げられた小さなドタバタ劇を思い出しながら書いていく。
「よかった…。君の声が聞けて」
好きなドラマのなかで、主人公の裁判官が心を閉ざしていた若い被告人に法壇から話しかけていた。彼が初めて悪態をついた言葉を吐いたときだ。
この言葉が私のこころに今でも居座っている。
瞬間、自分と被告人を錯覚した。
それほどひとと会話をしなくなった。たまに声が出るんだろうかと不安になる。テレビを見ていても「それ、ちがうだろ」とひとりツッコミを入れることも無くなった。
「孤独感」なんて美的で孤高な表現じゃない。世の中と自分がどんどん離れていくような焦燥感に追われる。そういうときは、決まって自分の立ち位置はあの人より低い。平らな地面に同じ高さで立っているはずなのに、いつも上下感を持ち、上を見上げている。
だから突然誰かに電話したくなる。でも多くの人は、「声が聴きたい」という感情を誤魔化し、メールでことを済ませている。そして何も起こらなかったことに後悔する。
そうだ、思い出した、この言葉だった。「君の声が聴きたい」。
照れくさくて言いだせないが、気持ちはこの通り。用があるんじゃない。存在を感じたい、確かめたいだけだった。だから話す内容なんてどうでもいい。
妻と別れ、離れて暮らす娘に電話してみた。今じゃなきゃできない。スマホが繋いでくれた。
呼び出し音が繰り返される間、画面にあらわれた娘の名前を凝視していた。指で触れたいが、触れればそれで途切れてしまうとドキドキしていた。
数回の呼び出し音。そして小さな「もしもし…」。
娘は父を認識している、瞬間そう思った。落ち着いた若い女の声が聞こえた。
「元気か…」こんな言葉しか出ない。父とは名乗らなかった。
娘は突然きた父からの電話をどう思うのか、次の言葉を選んでいる最中も娘の気持ちを探っている。いや、さぐる余裕もない。ドキドキは続いている。スマホを持つ手が汗ばんできた。
「うん、なんとか…」と娘の声だけが可愛らしい。このまま録音したいぐらいだ。
スマホに残る娘の顔は小学生そのままだった。だから自分の顔のしわや薄くなった頭髪もどこかへ消えてしまった。声を聴いてそれまでの時間が縮まるというが、会えなかった時間が縮まることはない。私だけが昔の一点にいた。ただその一点から今を見ていた。
「お父さんは、…元気なの」
この言葉の感触に浸った。「お父さん」と呼んでくれた。
そうだった、僕には「お父さん」と呼んでくれる娘がいたんだ。
声を聴いて、どこから届くかわからないような甘い香りがした。耳から入った声が鼻腔に伝わり乳臭い甘い香りに変化した。ほんの一瞬、生まれたての赤ん坊の顔を思い出した。僕の顔をじっと見ていた。すべてを捨ててその目に吸い込まれたかった。
声を聴けてよかった。
と同時に「これからどうなるのか」、また不安が押し寄せてきた。
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