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ほのぼの童話(10) 「ドント・ウォーリー」

(アテンション・プリーズ… )
空港のロビーは、今まさに飛行機に乗りこもうという人たちで、あふれかえっています。
「気をつけてね …」
ルミ子さんは真由美の両手を、ぎゅっと、にぎりしめました。
「だぁいじょーぶ、おかあさん! 何たってジェームスが、ついてるんだから」
真由美は、横にいる金髪の大男に、いたずらっぽくウインクしました。
「でも、アメリカ人は皆、ピストル持って歩いとるっていうじゃないか」
横から、菊江おばさんが口を出しました。
「ノー、ソレ誤解デス。ドント・ウォーリー」
「え、何? 『道頓堀』?」
「やだ、おばさん。彼は『ドント・ウォーリー』、心配するなって言ったのよ」
「なーんだ、そうだったのかい」
菊江さんは、ケラケラ笑いながら言いました。
「真由美を、どうかよろしくお願いしますね」
ルミ子さんは、ジェームスに向って頭を下げました。
「ハ、ドーモ、ドーモ」
ジェームスもつられて、長い身体をきゅうくつそうに折り曲げ、おじぎをしています。
「じゃ、行ってきまーぁす!」
こぼれるような笑顔とともに、二人の姿は搭乗口の向こうに、消えて行きました。

「行ってしまった… 」
ルミ子さんが、ポツリとつぶやきました。
「あんたも、これからは寂しくなるねぇ」
菊江さんが心配そうに、ルミ子さんの顔を、のぞき込みました。
「いいえ、真由美が心から好きになれる人が見つかったんですもの。こんな嬉しいことないわ … 私、ちっとも寂しくないわよ」

 (パチッ… )
家に帰りついたルミ子さんは、そっと電灯のスイッチをつけました。
部屋の中は、信じられないほど、しぃんと静まり返っています。
ルミ子さんはゆっくりと仏壇の前に座りました。そこには、ルミ子さんよりずっと若い男の人の写真が、静かに微笑んでいました。
七年前に亡くなった、ルミ子さんのご主人の卓也さんです。
「あなた… 真由美、行ってしまいましたよ。アメリカへ。とても幸せそうな顔して」
 卓也さんの写真が「ウン、ウン」とうなずいているように見えました。
「あなた、これでよかったんですよね…」
(ポツ、ポツポツ…、ポツポツポツ…… )
「あらいやだ、雨かしら」
ルミ子さんはあわてて、縁側に干してあった洗濯物を取り入れようと、立ち上がりました。
「 真由美がお嫁に行ってしまったら、二人で、この縁側でお庭のお花でも見ながら、いっばい、いっぱいお話をして過ごしましょうねって、言ってましたのにね…」
洗濯物をたたみながら、ルミ子さんの目からは、いつしか大粒の涙があふれていました。
「もう今夜は、早く寝てしまおう…」
そうつぶやいて起き上がろうとした、その時です。
とつぜんズキーンという鋭い痛みが、ルミ子さんの胸を走り抜けました。
「う…、ど、どうしたのかしら」
あまりの痛みに、ルミ子さんは、ガクッと縁側に倒れ込みました。
「あなたっ…、真由美、た、助けて!」
しかし、ルミ子さんの声は誰にも届きません。
やがてルミ子さんは気を失ってしまいました。

「おかあさぁーん」
振り向くと、保育園のスモックを着たまゆみが、ニコニコ手を振っています。
「まゆみ!」
ルミ子さんは、大きな声で呼びました。
(ああ…ここは朝日公園だわ。お父さんと三人でよく遊びに来た、あの丘の上の… )
「おーい、まゆみィ。こっち、こっちー」
ルミ子さんにとって、とても懐かしい声が聞こえました。
見ると、ケーブルコースターの向う側で、卓也さんがけんめいに、手を振っているではありませんか。
「さあ、まゆみ。今日はぜったいこっちまで来るんだ。がんばれよっ」
卓也さんが、大きな声で言いました。
「… やだぁ、まゆみ、こわいっ」
(ああ、そうだわ。
このケーブルコースターに初めてまゆみが乗ったとき、途中で落っこっちゃって、それからは怖がって、二度と乗らなくなってしまったんだっけ… )
そう思い出したルミ子さんは、まゆみの手をぎゅっとにぎりしめると、言いました。
「だいじょうぶよ、まゆみ! おかあさんが最初に乗ってくから、あとから必ず来てね」
「う、うぅーん」
「さあ、行くわよっ」
ルミ子さんはコースターの座席に座ると、さあっと滑り出しました。
コースターのむこうで待っている卓也さんの顔が、みるみるうちに大きくなってきます。
「おう、まずお前が来たか!」
「あ、あなた … 」
ルミ子さんは、卓也さんの優しい笑顔を、じっと見つめました。
「さあ、次はまゆみの番だぞ」
まゆみはまだ、モジモジしています。
「まゆみ、さあ早く!」
「おとうさんもおかあさんも、こっちにいるのよっ。まゆみも早くおいでーっ」
まゆみは、ようやく滑り出しました。
(キュルキュル、キュルルル… )
「そうそうっ、その調子だ」
「がんばれー、もう少しよっ」
まゆみの、今にも泣き出しそうな顔が、だんだん近づいて来ました。
「よぉーしっ、ゴールだ!」
「えらいわ、まゆみっ。よく頑張ったわね」
ルミ子さんは、まゆみの小さなからだを、ぎゅうううっと抱きしめました。
「まゆみ、まゆみ、がんばったもん… 」
「そうよ、えらいわ、まゆみ!」
「まゆみ、いっしょうけんめい、がんばったんだもん。だから … 」
「え、だからなぁに?」
「おかあさんも、がんばって!」
「えっ 」
「胸の痛いのなんか、とんでけって言って! 」
「 … 」
横では卓也さんが、静かにうなずいています。
やがて二人の姿は、すうっと消えました。
「まゆみっ ! あなたっ! 」
その時、二人の声がハッキリと聞こえました。
「おかあさーん、がんばってーっ」
「ルミ子ーっ、負けるなー、がんばるんだ」

「 ルミ子さん、ルミ子さーんっ」
「ああ、目をさましたわ。よかった…」
ベッドに横たわるルミ子さんの横で、皆が歓声をあげました。
「こ、ここは?」
「病院よ。あんた心臓の病気で入院したのよ」
菊江さんが、大きな声でいいました。
「あの晩、一人で寂しくしてるんじゃないかと見に行ったら、あんた、部屋の中で倒れてるじゃない。
まー、本当にビックリしたわ」
「 … どうもすみません」
「あんたにもしものことがあったら、真由美ちゃん、どんなに心配することか…
そういえばあんた、真由美ちゃんの名前を、しきりに、つぶやいてたみたいだったけど」
菊江さんの言葉に、ルミ子さんはハッとしました。あれは夢だったのか…
でも夢の中でたしかに、私は二人に励まされていたんだ…。
「真由美ちゃん、あさってアメリカから帰ってくるそうだよ」
「えっ… 本当」
菊江さんの言葉に、ルミ子さんは、痛む胸が静かに、ときめくのを感じていました。

「おかあさん!」
「あぁ、まゆみ、真由美!」
二人は、しっかりと手を握りあいました。
「ごめんね、ごめんね、おかあさん。すぐ来てあげられなくて」
「何を言うんだい、この子は … 無理して来なくても、よかったのに」
その時です。真由美のすぐ横から、図太い毛むくじゃらの手が、ぬうっと伸びて来ました。
「ハーイ、マミー」
「ああ、ジェームスさんも来てくれたの。…すみません。ご心配をかけて」
ぎゅうっと握りしめたジェームスの手はとても温かく、ルミ子さんは思わず、卓也さんの手の温もりを思い出しました。
「あのね… おかあさん。私たち、これから日本で暮らそうっていうことに決めたの」
「えっ、何だって! …そ、そんなこと」
「ジェームスが言ってくれたの。おかあさん
一人を日本へ残しては、真由美も心配だろう、だったらいっそ、おかあさんのいる日本で、一緒に暮らそうじゃないかって」
真由美のことばに、ルミ子さんは大粒の涙をポロポロとこぼしました。
「お気持ちは、とっても嬉しいんだけど… それじゃ、ジェームスさんのご両親に、寂しい思いを、させてしまうじゃないの」
「それは心配ないわ! だってジェームスは五人兄弟だし、みなご両親の近くに住んでるから、ちーっとも、寂しくなんてないのよ」
「ソーソー、チーットモ、ネ」
ジェームスが、ニコニコうなずいています。
「まあ、なんて優しい旦那さんだこと」
菊江さんが、横から口をはさみました。
「でも、日本で暮らすの、大変よぉー」
「ミー日本大好キネ、日本語モ、チョコットダケド、シャベレル。ドント・ウォーリー!」
「え? … はぁーまた、『道頓堀』かい」
部屋いっぱいに明るい笑い声が満ちあふれました。

(作者ひとこと)

数年前、狭心症で入院、手術をした時、ベッドで昔の事を思い出しながら書いたものです。(あの頃は楽しかったなあ…)
公園のコースターでよく遊んだ子供たちも今は家を離れ、自分だけの力で大きくなったような顔をして、伸び伸びと生きております。

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