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中村紘子さんのこと

 クラシックを好きになり始めたばかりの頃、「音楽の友」を読んでいた私の目は、ある若き女性ピアニストの写真にクギ付けになりました。
「なんて綺麗な人だろう!」
中村紘子…この時初めて、私は彼女の名前を知ったのです。
演奏を一度も聴いた事がなかったのに、さっそくファンレターを書きました。(当時は音楽年鑑を見れば、有名音楽家の現住所を調べることが出来ました…何と良き時代!)
しばらくして紘子さん(以下、このように書かせて頂きます)から、きれいな絵葉書が届きました。保養先の軽井沢から出されたものでした。
有名人から頂いた、初めてのお手紙!
10代の少年は、完全に舞い上がってしまったのです。🙌

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(最近発掘された紘子さん初期の貴重な録音。
チャイコフスキー(1963)、ショパン・矢代(1967)
力強いなかにも初々しい直向きさが伝わって来る、まさにドキュメント!)

その後名古屋フィルで弾くようになった私は、初めて来演された紘子さんにサインを貰いに行きました。一冊の本を携えて…
本のタイトルは庄司薫「赤ずきんちゃん、気をつけて」😳
そう、紘子さんのご主人のベストセラーです。
「あらー、読んでくださってるの!」
紘子さんは、次のようにサインしてくださいました。
「筆者代理 中村紘子」

それからもショパンのコンチェルトなどで、紘子さんとは何度かご一緒させていただきました。私が一番よく覚えているのは、矢代秋雄のコンチェルトの時です。(この曲は1967年に、紘子さんが初演されています)
第二楽章、ピアノのソロが単音で開始されます。
「ドー、ドー、ド・ド・ド…」
コントラバスからはピアノの蓋越しに、紘子さんのお顔がよく見えます。この時の彼女の鬼気迫る表情を、私は忘れる事が出来ません。たった一つの音を奏でているだけなのに、何と魂が込められていた事か! 身体中に鳥肌が立つのを感じました。

最後に紘子さんとご一緒させて頂いたのは、2012年1月14日、愛知県芸術劇場で開催された「中村紘子 2大コンチェルトの饗演」(伴奏=堀俊輔/中部フィルハーモニー交響楽団)でした。皇帝とチャイコという物凄いプロにもかかわらず、いつもながらの「紘子節」に圧倒されました。アンコールで弾いてくださった「幻想即興曲」も、他のピアニストでは絶対聴く事が出来ない彼女独自のテンポ、音色、そしてアーティキレーション…同じ舞台に立たせて頂く幸せを噛み締めたのです。

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中部フィルとの演奏会プログラム(2012.1.14/愛知県芸術劇場)

紘子さんがご病気で休養を余儀なくされた後、私は所属先のJ音楽事務所宛にお見舞いのメールを送りました。しばらくして、お身体が大変であろう中、紘子さんはお返事をくださいました。
「手術が成功し体調も回復したので、今は毎日ピアノに向かっています。演奏会もいくつか予定しています」
(わー、それは良かったですねぇ🙌)
「名古屋フィルにもお邪魔しますが、岡崎さんはもうおられないのでしょうか?」
(はい…残念ながらもう卒業したんです😓)
頂いたメールを読みながら、私は勝手に返事を重ねていました。
それなのに……

中村紘子さん、貴女と同じ時代に生き共演させて頂けた事を、今私は心から感謝しています!
いつの日かそちらに伺った折には、是非ショパンの遺作のノクターンを聴かせてくださいね…

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