コピーっぽいものを書きたくなる衝動


コピーを書いていると
かっこいい表現や工夫したフレーズを使いたくなる。そうやって必死で考えて満足したコピーでも、提出したあとは急に陳腐なものに見えて、あとでバツの悪い思いをすることもある。

そんな気持ちになるときは、きっとコピーではなく、コピーっぽいものを書いているぞというアラートなのだと思う。

コピーっぽいとはつまり、見た目だけを気にしたかっこつけな言葉ということだ。
届けたいよりも、言いたいが先行している。

では、コピーとはなんだろうか。

コピーとは、狙った方向に人の気持ちを動かし行動を促すための言葉だと思う(2023年1月時点)
この定義に沿えば、必ずしも言葉を飾る必要はない。
表現にこだわるのはコピーの醍醐味だけど、本質ではない。
味気なく聞こえるかもしれないが、僕は納得している。

コピーがポエム(自己表現だけに完結するもの)と違うのは、
依頼主がいて
依頼主が届けたい相手がいて
目的(促したい気持ちや行動)があること。
自分が書いたコピーであっても、所有者は自分ではないのだ。

もう1つ付け加えると
コピーの影響力はみずもので、受け取り手の状況次第で効果があったりなかったりする。
例えば、
「帰ったら金麦」
というコピー。

僕が仕事終わりの電車でこのコピーを見かけたとき、シズル感のあるビジュアルと相まって思わず「飲みたいなあ」と声が漏れた。
帰りのスーパーでいつもの本麒麟じゃなくて、金麦を買ってしまった。
完全に心と行動を動かされた。

でも、状況が違ったらどうか。
もし仕事終わりじゃなかったら。
もしビールが飲めなかったら。
「帰ったら金麦」
というコピーは、僕に全く響かなかったに違いない。

言葉だけでなく、ターゲットや気持ち、状況までも想像して見方につけて放つ。
それがコピー、、、な気がしている。

序盤に、コピーは表現にこだわることが本質ではないと書いた。
とはいえ、表現にこそ自分らしさが宿る気がするから妥協するものでもないと思う。

本質を忘れない姿勢とすこしの色気を持ち合わせながら、コピーライター2年目を頑張りたい。

晩御飯の買い出しをしてる最中に思いついて書き出したらこんな時間。
今日はお惣菜を買って帰ることにしよう。

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