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無名創作者の自己陶酔

泣きたい瞬間の心の蠢きを、冷凍して置いておきたかった。

これが創作原動力のエンジンとなるのを知った。これがどうも、最近は、不快すぎるほどにしか来なくて、ほどよく持続してくれない。だから、欲しい量だけチンして摂取できるようにしたかった。過ぎては手が動かず、少なすぎては創作は生まれてくれなくなる。
もしかしたら元からこれくらいの刺激だったかもしれないし、以前より微量なのかもしれない。
何も考えない能天気さという視界の狭い幸福が、知る恐怖と知らない恐怖をよりおそろしくした。箱入りの幸せを味わう度、その瞬間の喜びと、後の無力感で狂いそうになる。幸福は効能が長続きしない。地獄は根を張る、いつでも私を蝕んで取り込む。時にそれは筆を取らせ、走らせ、多幸感を呼び寄せる。その先にある毒に負けると筆も持てなくなる。
苦しみや孤独、寂しさが根を張るように生まれた花の創作達は、なんとも恐ろしいことに、緩やかな幸福を持続し、穏やかに保存されている。
例えば暗所保存の味噌のような、ふと見返すだけで言いようのない安堵と柔らかい高揚感、だれかに触れてもらうと心が飛び起きるほどにあまく、それはつねにわたしのこころを満たそうとしている。
それでも満たされないのが生きていることではあるのだが、どうもこれが最近は少なすぎて、孤独への恐怖がただ堪えがたいものになってしまった。
この現状と自分の甘さ、狭い世界に変な嫌気ばかりさしてしまい、再度こうふくというものがわからなくなりつつある。わかったことが本当にあるのかは知らない。それでも人と共にあるわたしはどうやらしあわせであり、同時に呑まれている。世間的な幸福にプラシーボ効果で酔っているような、ほんとうは体が醒めている。それをこころの自分が、酷く責め立てている。

芸術活動において、孤独がどれだけ大事かを、思い知っている。人と共にいる時間、それがいつかの創作を産むのにもかかわらず、その時間では、創作を行えないのが、かなしい、さびしい。

難儀なもんだ

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