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お勉強と教養の違い

新年度も始まり、大学にも新入生がはいってくる。そんな時によく耳にするのが附属出身とか指定校組・推薦組、一般組というカテゴリー。

自分は高校大学の附属パターンであり、その立場から思ったことを少し。

大学に入ると新しい友達とかの会話でよく話されることの一つに、高校の話題があると思う。絶対一回は話したことがあるんじゃないかな。

結構Twitterとかでは、附属や推薦に対する偏見や意見も多く見られる。

学力というか、学校の定期テスト、高校の教科書をどれだけ覚えられるかみたいなところで勝負されると実際かなわないのが現実である。

もちろん、そのテストの点数も重要である。実際大学の成績にそこまで関わったかというと、2年間通ってきたわけだが、あまり感じない。

もちろん文系理系によって変わってくると思うけど、理系でも学校のお勉強ができなくても、好きで熱中している研究分野には秀でている人もいるだろうし、目標が明確でそれに対してのみ効果的なアプローチをするタイプもいるだろう。

お勉強ができるというのは、頭がいいとは全くもって別物

と私は思う。

9割型は一般の人の方がお勉強はできる、それは絶対に覆らないけど、頭がいいかと言われればそこはわからない。

どっちがいいとかはなくて本当にわからない。

まあ人による部分も大きいと思うから、あくまで本当に個人的な意見として聞いてください。

個人的なことだけにフォーカスすると、世間一般的に常識とされることは、比較的分かる方だと思う。こういうこと書いてると、誤字等を指摘して常識がないと揚げ足を取られてしまうかもしれないがw

その常識がいいか悪いかは、一旦置いとく。

昔から、テスト勉強というものが大嫌いだった。でも授業は好きだった。
よく手を挙げて発言してたし、授業中にちゃんと考えて理解したいと思って受けていた。

よく、テストは理解を確認するためのもの、と先生はいうが、それはどうかなと思う。

教師にとっては、成績をつけるための便利なツールの一つでしかないと思う。🔴か❌かハッキリするものがほとんど。近頃は、そういったものを改善しようとする動きが見られてはいるが。

結局何が言いたいかというと、
これは学歴とかにも言える話なんだけど、世の中、🔴❌で判断できることなんて少ないし、答えのない問題ばかり。

だからこそ、少し自分の視野を広げて交友関係を含めたいと私は思う。

附属だろうが推薦だろうが、一般だろうが自分の過去に誇りをもって手を取り合ってほしいというか自分はそうでありたい。

まあこの文章自体が偏見だろと言われてしまえばそれまでだけどw
逆にこの考え方こそ、正解はない。

前向きな偏見は自分の中では大切だと思うから。

それを人に強要することなく前進し続けたい。

最後に、

教養とは、答えのない問題に
自分の意見を示すためのものである

と私は定義したい。


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