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道恋7 赤城南面道路

群馬県道4号、通称・赤城南面道路または赤城道路は、過去には有料道路であった赤城山の山頂へと向かう道である。赤城山塊のカルデラ火口湖である赤城大沼(おの)周辺は、遠足の子供たちや親子連れの集まるレジャースポットとなっているので、あまり尖った気持ちで走りに行くには適していないルートである。この環境下で、どれだけストイックに走りに打ち込めるかは、どれだけ高橋兄弟に憧れているかということに尽きるであろうか。ご存知、「頭文字D」のバトルステージのひとつであり、高橋兄弟の所属する赤城レッドサンズのホームコースとして登場している。何台かのイニDファンは、今も変わらずこの峠道を愉しんでいるようで、私が訪れたときには、何度も折り返して繰り返しアタックしている、ストイックそうな紫のFD(RX-7)と遭遇することが出来た。特に理由もないのだが、赤城でFDとすれ違ったりする際には、なぜだか少しニヤついてしまう私である。赤城山麓から渋川市へ戻る際には、国道353号の夜景もまた、愉しみのひとつとなる。雄大に広がる前橋方面の市街地の夜景を眼下に見下ろし、ゆったりと車体を走らせる。高橋兄弟が秋名の峠へ向かった際にも、この道を利用したであろうか。

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高速・低速コーナーが短い区間に凝縮されて、コンパクトに折りたたまれている印象である。無駄にだらだらと続く峠道ではなく、腕を試すかのような複合のコーナーが、いくつかのセクションに別れ、短い区間に凝縮されてまとめられているかのようだ。きゅっと圧縮されていて、まとまりのよいコースであり、濃縮度の高いコースとなっているように思う。榛名山道路で有名なのは、原作では5連となっているものの、現実には4連の連続ヘアピン区間であるが、むしろ赤城道路の方にこそ5連ヘアピンが存在しているような気がするのは、私の試走不足のせいであろうか。路面状況の程度はとてもよいものの、「頭文字D」のバトルステージというだけあって、速度抑制のための路面の波状舗装もところどころに現れるので、しっかりとスピードを意識しておかなければならない。榛名山道路ほど強烈な波打ち具合ではないものの、それでもうっかりスピードに乗った状態で突入すると、車体の底をこすりかねないし、うねりに乗っかって船酔いのような気持ちの悪いこととなる。それでも榛名山よりも良心的に感じるのは、波状舗装が直線気味の部分にあるというところだろうか。コーナーがセクションごとにまとまって分かれていることで、無駄な集中力を使わなくてもよいことなどから、何度かUターンして再チャレンジしてしまうような中毒性を持っている。低速コーナーと高速コーナーが偏ることなく、バランスよく訪れてくるおかげで、上りも下りもともに愉しめる万能のルートとなっているようで、ヒルクライム側が流し作業になってしまわないところもポイントが高いと思う。どうしても榛名との比較になってしまうが、プラクティスに適した赤城道路、ハイスピードの下りっぱなしにならざるを得ない榛名山道路といった印象である。

赤城神社

赤城大沼に突出した半島の小鳥ヶ島には、赤城神社が建つものの、榛名神社や妙義神社などとくらべてしまうと、その社殿の新しさからどうにも見劣りがしてしまう。建物は新しく、険しい参道などもなく、象徴として祀られている岩の塊などもないため、神秘性には乏しい。周辺の大洞商店街には、ボート乗り場やレジャー客向けの売店が並び、おっきりこみや焼きまんじゅうなどが味わえるので、神秘性よりも食い気重視と割り切って、縁日の屋台めぐりをする感覚でお参りする神社なのかと思う。願掛け緋鯉の伝説は、神秘性があって面白いのだが、これも現代的にリニューアルされてしまっているようで、どうにも神秘性には欠けている。病気平癒などの願掛けのために沼に放流された緋鯉を、うっかり釣ってしまうと、病や苦しみをかわりに被ることになるという、祟り鯉の伝承も今では伏せられてしまっているようだ。現在は、祟り鯉について言及している立て看板は外されていて、願掛け緋鯉の放流の件だけが紹介されているが、祟りなどを信じる時代ではないといった、観光客に向けた配慮であろうか。神秘性もひとつの文化であるから、これを愉しむ心のゆとりがあってもいいと思うのだが、そういう時代ではないのであろうか。

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「頭文字D」のブレイク以降、県道4号・赤城道路と言えば、MAZDA車のイメージが色濃く付いてしまっているような気配がするが、昔から群馬県に暮らしている人にとってみれば、きっとSUBARU車のイメージの方が、はるかに強い道路だったであろう。付近には、SUBARUふれあいの森という施設まである。群馬県の太田市は、戦前の中島飛行機、そして中島飛行機が名前を変えた、戦後の富士重工のお膝元の都市であり、富士重工が社名をSUBARUと変えた現在も、変わることなくお膝元であり続けている。富士重工が国民車としてSUBARU360を開発した際には、過酷な条件下での走行テストのコースとして、舗装される以前の県道4号・赤城道路が選ばれたという。VWビートルに似たフォルムを持ち、てんとう虫というかわいらしいニックネームを与えられたあのクルマが、舗装もされていない頃の赤城道路で、バリバリの走行テストをしていたというから驚きである。イニDファンやロータリー使いのみならず、スバリストの方も要チェックの道が、この県道4号・赤城道路なのである。

赤城大沼



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