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道恋4 車坂峠

浅間サンラインから小諸市を北へ、浅間山塊の高峰高原を群馬県側へと抜けていく峠道が、小諸市の市道・チェリーパークラインである。ここの峠はその名を車坂峠と言って、クルマ好きよ集まれとでも言わんばかりのネーミングセンスを見せつけている。そのコースレイアウトもまた、名前負けしてはなるものかと一躍奮起したものか、急勾配のヘアピンコーナーが連続する、怒涛のつづら折りの道である。山梨県内を走る国道300号線は、甲州いろは坂の異名を持っているけれども、この車坂峠などは、信州いろは坂の異名を与えられても良さそうに思う。市道とは言っても、路面舗装の状態はとてもきれいで、へたな国道なんかよりもよほど走りやすい道である。急坂を駆け上がる道の割りには、ガードレールのような保護設備が一部ないのは気になるものの、死にたくなければスピードをゆるめさえすればよい。過去にはクラシックカーの走行イベントなどが行なわれていたこともあるらしく、コースレイアウトはお墨付き、低速で走ったとしてもコーナーワークの難易度からも、なかなかに愉しめる峠道なのである。


わずか10kmほどの区間に、さまざまな性質のコーナーが詰め込まれている、腕試しという走り方にふさわしいような峠道である。さまざまな曲率、さまざまな勾配、曲率と勾配が絡み合って三次元的にうねりあがるコーナーもあり、連続ヘアピンがあったかと思えば、コーナーまでの直線距離の長い区間も存在し、実に考えるべきことの多い峠道となっている。何度かこの峠を訪れて、ひとつひとつのコーナーについて研究し、何速で曲がるのが一番スムーズなのか、何キロで曲がるのが一番効率的なのか、突き詰めていったら愉しかろうと、ずぶの素人ながら思う道。いくつかのコーナーがまとまりとなっている訪れてくる印象なので、セクションごとに区切って攻略するのも面白そうである。自分はそこまでのレベルにはないので、面白そうだと思うだけで、実際にはゆるゆると峠道を愉しんでいるだけではあるが、そういう雰囲気がゆるく走っているだけでも伝わってくる。なぜか、ヘアピンコーナーの内側に、石造りの歌碑が無造作に建てられていることが多いので、いろは坂タイプのつづら折りの峠とは書いたものの、頭文字Dのような「インベタのさらにイン」などは、玄人の方であっても絶対に考えてはならない。よくわからない歌碑に突き刺さって、一句ならぬ首やら腰をひねることになりそうだ。アウトサイドの崖側にガードレールのない箇所もあるので、崖下の絶景に吸い込まれたくなければ、あまり過信したスピードは出さない方が無難である。高低差によってブラインドが作られ、道の先が見えにくくなっているコーナーなどもあるから、そんなコーナーはことのほか、怖い。高峰高原ホテルを出発して、ダウンヒル三番目あたりのコーナーが、そんなコーナーとなっていて、思いのほか怖いのである。

車坂峠を走ってみれば、この峠が、いろいろな峠のいいとこどりをしているかのような、さまざまな峠の練習コースのようになっていることに気が付いてくる。峠を登り切ったところのホテルから小諸市側へと下りて来れば、ルートの印象はだいたい3つに変化する。最初に訪れるのが、長めの直線からのヘアピンコーナーが現れる、群馬県の榛名山道路を小振りにしたかのような、腕試しセクションである。貧弱なワイヤー状のガードレールがコーナーのアウト側にあるだが、細いワイヤーゆえに景観が吹き抜けるように見えてしまい、スピードを出すことのスリルが三倍増しに味わえる。勾配もきつく、景色へとダイブしていくかのようなヘアピンとなっているので、スピードについてのリスクは充分に理解して走るべきであろう。次に訪れてくるのが、これまた群馬県の赤城南面道路のプラクティス版のようなセクションである。複雑に織り込まれたコーナーが一定の区間に凝縮されているので、ある程度、先のコーナーの曲率や勾配を予測・計算しながら下りてくる必要があるだろう。最後の3つめのセクションは、旧道18号碓氷峠を少しだけ意識したかのような、細かい切り替えしが要求される区間である。碓氷峠ほどの狂気じみた連続性などはないものの、左右に交互に揺さぶられる感覚は、碓氷峠のミニマムバージョンと呼びたくなる。


チェリーパークラインから浅間サンラインを軽井沢側まで少し足を伸ばせば、周辺の見どころとして、真楽寺という古刹がある。佐久三大奇祭のひとつ、御代田龍神祭りが催されることで名の知られた寺院だ。龍が棲むと言われる境内の大沼という湧水池が、周囲の樹々の緑を映しこみ、水底の苔の緑とあいまって抜群の神秘性を醸し出している。参道にある石段にも、よく見れば苔が生い茂っていて、夕刻、太陽が差し込んだときなどに、石段の苔が緑色の光を反射して、とても美しいと思ってしまう。この真楽寺に祭られている龍神こそ、甲賀三郎が姿を変えたものであるという。諏訪湖へ下った甲賀三郎が、龍神としての諏訪明神となったという伝承の始まりの地でもあり、複雑な広がりを見せる諏訪信仰の一端を垣間見ることも出来る。石段の上の境内には三重塔があって、三重塔のわきから再び急峻な石段が伸びている。この石段を登っていけば、やや高い目線から三重塔を見下ろすように鑑賞できるので、古風建築の好きな方、あるいは、建築に興味はなくても、ちょっとしたドローン目線が味わえるので、体力に不安がなければ頑張って登ってみるのもよいだろう。御代田町には、御煮掛けうどん・御煮掛けそばという郷土食があり、島崎藤村もこれを食べていたという。根菜類などを刻んで作った御煮掛けの具は、そのままでは若干甘みが強いので、私はこれに七味唐辛子を多めにかけて食べる。24時間営業の東部湯の丸サービスエリア(下り側)でこれを提供しているので、深夜ドライブの後にも食べられることは強みであり、冬の寒い時期には体を暖めてくれるので、とてもありがたい一杯である。

車坂

小諸という土地のすぐそばには、軽井沢というクラシックカー文化の豊かな街があって、このあたり一帯は、その文化圏の中に含まれている。そのような、クルマをひときわ愛する文化圏があったればこそ、先の走行イベントの催しなども市民権を得ていたのだろう。軽井沢の街付近を走れば、高級外車やスポーツカー、滅多なことではお目にかかれないクラシックカーやヒストリックカーなどと、半ば日常的にすれ違う。ハコスカ、ハチロク、スーパーセブン、エリーゼ、モーガン、MGBに、ボートテールのコルベット、腐るほどの数のポルシェに、深紅のフェラーリ、S660、ミツオカ、アストンマーチン、マクラーレン。今をときめく高級外車は、名前こそチェックしていないのだが、なんとなく形をおぼえてしまった。軽井沢では、格差社会の縮図が木陰で眠りについている。庶民にはなかなか手の出せない憧れのクルマたちが、公道博物館よろしく走っているのが、この軽井沢という街のすごいところだ。そんな軽井沢から国道18号を辿ってまっすぐに下っていくと、破戒の作者・島崎藤村が若き日を過ごした小諸市街に至る。小諸の中心・小諸城址懐古園の敷地に隣接して、島崎藤村が若き日に、教員を務めた小諸義塾の記念館が建っている。島崎藤村を敬愛している小諸の街であるが、ここに立つと、今しがた下ってきたばかりの軽井沢の風景が、はなはだ遠いもののようにに思えてしまう。小説「破戒」の中で被差別部落を問題として取り組んだ島崎藤村の小諸と、軽井沢を走って感じる格差の肌感覚とが、なんとも皮肉と言おうか、ここでは一本の国道でつながれて存在している。


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