事件簿。毛皮と白装束。
その日は、いつものように暇だった。
店の上にある自分の部屋で、ごろごろと惰眠を貪っていた、のだが。
なんだか隣が騒がしい。
がたがたと机などが動かされる音、必死で宥めるような雅巳の声。
放っておけばいいのだが、なにかが割れた音がして俺はソファから身を起こした。
「おぉい、大丈夫か~?」
隣のドアをノックして、お伺いを立ててから勝手に入る。
中では……野生の王国の収録かと思いかねない情景が広がっていた。
「まままマスタぁあああああっ」
珍しく困り果てた顔つきでジョウが泣きついてきて、疲れ果てた顔の雅巳がこちらに気付いて手を振った。
そのふたりの向こうでは、虎と白装束の女が大喧嘩を繰り広げていたのだ。
割れたのは、ドアの傍にあった鉢植えを投げつけたかなにかしたらしい。虎の足元に土と破片が散っている。
よくよく見ると、白装束の女の目は爬虫類のような目だ。しゃぁああっと威嚇する声や口元からちろちろ覗く舌先が割れているところからも、こっちは蛇か何かか?
「……これは……?」
「最初は、ふたりとも普通のご夫婦だったんだよ。女の方が別れたいって相談に来てさ。後を追ってきた虎の旦那が違う誤解だやだやだってゴネ始めたんだけど……そのうち喧嘩になったその結果がこれだよ……どうしよう、修理代、貰えるかなぁ……」
雅巳がとほほな様子で見守っている。部屋の惨状は、ソファには鉤爪の後がくっきり、テーブルはひしゃげてデスクの上にあったモノは散乱している。
片やジョウは基本的にあやかしだのオカルトっぽいものは苦手である。爬虫類も割と苦手な部類だと聞いている。そしてそれは、今の状態を見れば誰でもわかるだろう。
レトリバータイプの大型犬みたいなヤツが、尻尾を股ぐらに挟み込んだように隅っこで体育座りしているのだから。
「はいはい~、どうにかしろってんだな?」
「これは手に負えないし。まぁ、これ以上破損がなければ……」
俺はため息をついて、不安そうに見上げてくる雅巳の肩をとんとんと叩くと、ふたりだか二匹だかに近付いた。
「落ち着け、貴様ら、喧嘩なら外でやれ」
威圧的に冷たく言い放つと、虎と蛇はいったん動きを止めてこちらを見る。
雅巳が後ろで「穏便に~っ」とわちゃわちゃ手を振っているのが視界に入り、仕方ねぇなぁ、と髪を掻き上げた。
そして、ぴたりと動きを止めた虎と蛇に、にんまり笑いかけてみる。もちろんただ笑いかけたわけじゃない。これくらいの異種になら軽く威圧をかけた催眠暗示でじゅうぶんだろう。
「離婚だかなんだか知らないけどさ、この部屋の損害賠償はどちらが払ってくれるのかなぁ? 離婚の慰謝料に含まれるのかなぁ?」
「ちょ、ちょっと待ってくだせぇや、旦那ぁ。おいらはこいつと別れたくねぇんですよ。こいつ、勝手に浮気したのなんのって騒ぎ出したんすよ。いきなり飛び出したと思ったら、ここに来やして、おいらは追っかけて来ただけでさぁ」
「なによなによ、じゃあこのポケットにあった煙草はなによ、あたしがこのニオイ嫌いって知ってたくせにっ。おまけにこの吸い殻入れ、口紅ついた吸い殻あるじゃないのぉおおおっ」
「ちちちちげぇよ、こいつぁえっと、預かっただけで、返すの忘れてただけだってぇの」
「言い訳なんかしないでしゃぁあああああっ」
ふむ、だいたいわかった。蛇はヤニとか嫌うってホントなのか。
俺は旦那をじっと見た。ふむ……?
「ちょい待て、落ち着け。ふたりとも、人間の姿にとりあえず戻ってくれ」
人の姿に戻ったふたりだが、白装束の女房はともかく、獣化していた旦那は服が散り散りだ。雅巳にタオルを用意させて、腰に巻かせた。いそいそと旦那がタオルを巻く仕草に目が止まる。
んん、やっぱりなんとなく感じた直感は当たっていそうだ。
「旦那は煙草を吸うのか?」
「……たまに……」
「そうね、飲みに行った後は、時々ニオってたけど、付き合いだから仕方ないとは思っていたわ」
「その吸い殻入れとかは持って来ている?」
「それならあたしが……証拠ですもの」
受け取って中味を見ると、確かに吸い口に口紅がべっとりと付いていた。
「今どきの口紅って、こんなにべっとり付かないと思うんだがね。ふだん化粧してる女性ならわかるだろう? そして、旦那。口角にうっすら何か付いてるぜ」
「……ええええっ?」
焦って口元を拭った旦那の手の甲に、ごくごく薄くだが赤い痕が擦り付けられる。それを見た女房は、意味に気付いたのか脱力してへなへなと崩れ落ちた。
「旦那、女装趣味があるなら、ちゃんと勉強して、こっそりやらねぇと」
「なんでバレたんです……?」
「虎の髭の先が微かに赤かったのと……ま、気配かな」
俺は肩を竦めると、欠伸をして雅巳のところへ戻った。
「後は損害賠償の請求でもなんでも処理は自分らでしてくれ、俺はまだ眠い」
「……う、うん……お疲れ……」
呆気にとられている雅巳だったが、とりあえず落ち着いたふたりに近寄り、相談をはじめたようだ。ジョウはやっと立ち上がり、俺を見送って手を振っていた。
いくら人以外の存在が増えたからって、ここまで露骨な獣人同士のトラブルなんざあまり見かけねぇんだが、いずれは珍しくもなくなるのだろうか。
だったらいい加減、異種向け食料も当たり前に売られるといいんだがな。そうしたらおとなしく血液パックでお茶を濁してやらんでもない。
そんなコトをつらつら考えながら、あふ、と欠伸を噛み殺し、俺は自分の部屋へと戻るのだった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?