3年前、2年前、7ヶ月前
ここに文章を投稿し始めて、5年目になる。
1年勤めた銀行を辞めた記念に憂さ晴らしとして一筆書いてやろうと思っただけなのに、なんでも気楽に書ける自由帳のような形式にはまってしまい、それ以降もたくさん小説やら詩やらを書いた。自由律俳句は恥ずかしくて消した。
言葉を自由に紡ぐことは、楽しかった。ただ、ただ。
最初のほうを遡ってみると、筆が乗っていたのか結構な頻度で投稿している。
銀行員からライターに転職したこともあり、練習も兼ねていたのだろうか。
いや、違うな。
これもまた、憂さ晴らしだ。
ライターとして書く文章は、どこか形式を要求される。個性を出しすぎると癖が強くて読みづらいとか鼻につくとか言って怒られた。
新聞に載っているような整然とした文章を書くことに嫌気がさしたとき、私はここに自由な詩を書きにきたのだ。まるで自分を取り戻すかのように。
そうかそうか、そうだった。
ところがよ、5年前、4年前はたくさんあった投稿が、3年前あたりから少なくなっている。
5年前、5年前、5年前(〜)、4年前、4年前、4年前(〜)、3年前、2年前、7ヶ月前…。
ここ最近は、1年おきくらいの頻度になっている。
こうも減るかねといった下降ぶりだ。
その理由は分かっている。
段々とライターの仕事が板につき、憂さ晴らしの必要がなくなったからだ。
ふんふん、良かったじゃないかと思った人もいるだろう。
しかし、これがまったく良くないのである。
私はもう、仕事以外で書きたいことがなくなっていた。
それは彩のない世界を生きることと同義だ。
言葉を愛していた私が、言葉を紡ぐ仕事に就いて、言葉に無関心になってしまった。
なんたる皮肉だろうか。
しかし金を稼げていたので、そんな由々しき事態を長らく無視していた。
・
モノクロの毎日にも慣れた、そんなある日。
私の書いた文章に、三行半よろしくとある添削が入る。
それが、これである。
「癖がなく読みやすい文章です。ただ、ちっとも面白くありません。あなただけの文体を意識してほしい」
私は膝から崩れ落ちた。
そしておいおい泣いた。
ライターを始めてからというものの、仕事では文章の個性を無くすこと、自分の文体を封じることに努めてきた。
しかし、心まで売るつもりはなかった。
そう思っていたのに、いつのまにか心をも売ってしまったようだった。
私は長い年月をかけ、読みやすく、しかしまったく人の心に残らない文章製造マシーンと化してしまったのだ。
そんなの私じゃなくったって良いじゃないか!
かのような理由で、私はおいおい泣いた。
そしてことの重大さを気付かせてくれた添削者に、心底感謝した。
私は私の文体を、言葉を、取り戻さなくてはいけない。
なぜなら、言葉の力を信じているからだ。
・
小学2年生のとき、全校朝礼で定年退職控えた担任の野見山先生にお別れの作文を読んだ。
先生もクラスメートもほくほく泣き笑いしてくれた。
どんな言葉で伝えれば先生は笑って定年を迎えられるだろうか。クラスメートの心から先生が一生消えないだろうか。
そんなことをたくさん考えながら書いた。
あれが、私が言葉の力を信じたきっかけだった。
言葉で人を傷つけたこともあった。
中学の頃、仲良くしてくれた一学年上の先輩に「冴えないけど話すと面白い」と言ってしまった。ただ先輩のユーモアを褒めたかっただけなのに、意図せず口が滑った。先輩は泣いた。私は教師にこっぴどく叱られた。
あの時、言葉の力の恐ろしさを知った。
初めて人を愛したとき、8枚におよぶラブレターを書いた。それでも気持ちを伝え切ることは叶わなかった。
その時、言葉のもどかしさに狼狽えた。
言葉は時に私に寄り添い、時に反発し、しかし決して離れようとはしなかった。
それなのに、言葉を職業にしてから、私は言葉を雑に扱うようになってしまった。
ただの仕事のツールに過ぎないと思うようになってしまった。
いつからか、私の言葉は私のものではなくなった。
灰色の空を見上げ思う。
ツケがまわったのだ、と。
私は私の言葉を取り戻さなくてはいけない。
だから、書くんだ。
ここに。
書けなくても書くんだ。
納得しなくても投稿するんだ。
誰にも読んでもらえなくても書き続けるんだ。
3年前、2年前、7ヶ月前。そして、4日前、1日前、10分前…となるように。
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