Earth Curry Book 成長編16: 田んぼの会
※ Spice Cafe Bijaのブログ (2013.3.21)より ~現在ブログは見られない状態です。~
自分が大学時代に入っていたクラブの一つが「田んぼの会」。
もう、本当に、名前そのままのクラブで、みんなで田んぼを借りて、そこで米を作るサークル(^^)
もともとは、一橋大学の経済学の教授でエコロジストの室田武先生のゼミの学生たちが、縁のあった農家さんから田んぼをお借りして始まったらしい。
大学のある国立市や小平市から、電車でしばらく青梅や奥多摩の方にむかった羽村市に田んぼはあった。多摩川に近いいい場所でした!
部室は一橋大学にあって、学園祭も一橋大学のものに参加していたけど、田んぼの会の学生は、自分がいた当時、一橋、早稲田、東京女子大、東京外語大などなど、いろんな大学の人達が参加してた。
多分、自分は入学した後の春の新歓期に一度は田んぼに行ってたんだと記憶してるけど、本格的に参加したのは、北海道から帰ってきた夏の後。
もともと、「食べること」や「食」に関心があったから、どう食べるものが作られているかや農業にも関心があった。けれど、実家のまわりはあんまり畑がなかったし、実家は商売の家だったから、米作りの経験もなかった。
だから、
「とにかく自分が興味があったけど、これまでできなかったことをやってみよう!」
と思った流れで、田んぼの会にも顔を出し始めた。
(ワンゲルで山に行ってない週末しか行けなかったですけど。。。)
田起こししたり、有機堆肥を作ったり、水やりに朝電車で田んぼまで行ったり(笑)、合鴨農法をやって秋にはカモちゃん達をしめたり、いろんなことを体験できた。もちろん、無農薬、無化学肥料栽培。
できた米はみんなで食べたり、学園祭でキリタンポにして鍋を作って売ったりと、楽しかったな~。
お米と麹なんかを混ぜて発酵させてお米ジュースをみんながそれぞれ作って、飲み比べなんかもしたな~
田んぼが会った羽村では、東京なのに農家さんは語尾が「~だべ」だったのに田舎者の自分はびっくり。東京も広い。
そして何より刺激的だったのが、田んぼの会のメンバーの面々。
田んぼの会の創始者の一人で、大学に8年いて、卒業後は炭焼のコンサル(?)で食べてたHさん。もう話してても、発想が自由すぎ。
生き方がアウトローで、エコロジストで、かっこよかった。
田んぼを貸してくれてる農家さんの家にHさんが間借りしてて、そこが田んぼの会の集合場所だった。
ユーモアばりばり、ロジカルに話もできて、地元の農家さんとも対等に話しできて一目置かれてるすごい人だった。
Hさんを筆頭に、もう濃いメンバーだらけ。
今から、15年とか20年前に、東京で田んぼ借りて、電車にのってわざわざ田んぼまで行って、週末に有機農業やってるんだから、ま、面白い人達が集まりますよ(笑)。
バリバリ帰国子女の大学の先輩が、卒業して農家のお嫁に行ったりと、なんというか自分が大学で知り合う人たちよりも、生き方や発想の選択肢がもっともっと自由な人たちが多かった。
実は、ちょうど昨日、大学卒業以来始めて羽村に行って来ました。
メンバーの一人が東京を離れて京都に行くことになって、その送別会があったんです。
浜松にいる自分にダメ元で連絡がきたので、Bijaを再開していない今なら行けるし、「ちょうどこのエッセーで大学時代のクラブのことを書いていてシンクロして不思議だな、こりゃ行くしかないな」とも思って行って来ました。
もう、すごく楽しかったです!
相変わらず濃すぎ~る人たちの集まりで、「大学のあの時期にこんな人達と過ごすことができたのって、やっぱり自分の人生ついてるな~」って思いました。
もう笑った、笑った。
久しぶりにおもいっきり笑った。
そして、今でも、食だったり、地域のことだったり、オーガニックだったり、フェアトレードだったり、関心の近い人達が多かったのも改めて、しみじみしちゃいました。
そして!
15年ぶりに会ったメンバーの一人のOさんが、なんと「脱サラして東京でカレー屋やりたい」なんて言ってて、それもびっくり。
税理士さんなんですよOさん。
税理士辞めて、いい年して、これからカレー屋始めるって、しびれる~!!!
ええ、もちろん、自分がBijaで学んだこと、なんでも教えちゃいますよ!
田んぼの会で過ごした時間は、間違いなく自分のルーツの一つで、それがやっぱり今につながってるんだなって昨日は改めて確認できました。
Earth Curry Book ~ カレー皿のむこうに広がる世界~ 目次はこちら
店主清川が、Bija開店まで、開店してからの奮闘記、オーガニックのこと、Bijaのカレーに盛り込まれた想いのことなどなど書いています。
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