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「仮面ライダーBLACK SUN」 思考放棄の感想殴り書き!

韓国がどうだという話じゃない。勝った負けたじゃないこともわかってる。だけど、2019年のアカデミー賞を「パラサイト」が獲ったとき、「悔しいです」と”言ってくれた”白石和彌監督のファンだ。自分が好きなのは、彼のその気概も理由のひとつ。再度いうけど他と比較してどうこうじゃない。今の邦画界にも素晴らしい作品がたくさんあって、言われてるほど悪い状況だとは思わない。だけど、ちょっと「これでいいんだ」「仕方ないよ」と内を向き過ぎていないか。大きく外を向いた日本発のエンタメ作品が、もっとあってもいいんじゃないか。そんな自分の期待に白石和彌監督の気概が答えてくれた。…もちろん、それは筆者の思い込みである。だが「仮面ライダーBLACK SUN」が素晴らしいのはホントのことだ。(いや他の白石監督の映画作品もいいんですけどね)

既視感の気持ち悪さ
人間と怪人が存在する社会。マイノリティである怪人は虐げられ、街では常に差別をうけている。街はデモ隊が過激な思想を主張し、お互いが衝突を繰り返す。実はその裏では与党の総理が自分の権力維持のために策動している。

過激な描写、感情を隠さない言葉の応酬。フィクションで先鋭化されているとはいえ、今の世の中の現状に照らしてみれば、なんとも敏感に反応してしまうドラマである。海外の作品だと「いろいろ大変だねー大統領もトンデモ」と距離を置いてしまう。ハッキリいってしまえば、当事者意識は薄い。しかし、この作品は別のどこかの遠くの話じゃなくて、今そこにある自分の隣に迫ってきている感覚がある。今まで避けていたものに、手で直接ふれたような「気持ち悪さ」を感じることになるだろう。

「日本初の外向きの作品つくれよ!」とは先に書いたけど、当事者となるとシンドイなあ、というのも正直な感想。お気楽にいってきたけど、自分にはあまり当事者になるという意識はなかったのかもしれない。

多くの描写、設定がわりと直接的。オマエ、パンツ履く気ないやろ?といいたくなるくらいモチーフとなったネタが分かりやすい。それがゆえに、現実と比較しての考察がネット上には多くみられる。その考察には意味がある。だけど、整合性には意味がないのでは?と自分は考える。

なぜなら、このドラマで起こることは過去であり、未来でもあるからだ。過去に起こった事を、「近い未来にまたくりかえすんじゃないか」という恐怖。どんなに馬鹿げた理屈も、時代が変われば形を変えて復活することがある。整合性でみるとおかしいかもしれないが、未来への「既視感の気持ち悪さ」が、この作品が感情を刺激するところであろう。

50年前の学生運動のような革命作戦から始まる光太郎と信彦の物語。50年をすぎた結果、物語のエンディングは一見「希望」のようでいて「絶望」と「皮肉」じゃないだろうか。変わらない強い意志なのか、同じ事を繰り返すことにしかならない既視感の気持ち悪さなのか。この作品はしんどい。だけど刺激がある作品は、やっぱりイイのだ。
そして仮面ライダーはカッコイイ!


物語ばっか書いてきたけど、やっぱりブラックのかっこよさには惚れる。特に変身前の西島秀俊の哀愁!自分としては、ライダーはやっぱり復讐する暗さと孤独感。足をひきずりながら眉根をよせる西島秀俊に痺れた。冷静に考えれば、必然性がないバイクのデザインも、乗ってる姿のかっこよさで気にならない。もちろん役者陣では西島さんがMVP…じゃないのよね。総理役を怪演するルー大柴の存在が圧倒的!なんというか表面に出てこない、人間としての根本が曲がってる狂気が表現されてる感が素晴らしい。ちなみにルー大柴さんのyoutubeをみると、白石監督は10代のころに出会って、そのときからいつか仕事をしてみたいという願いから今回のオファーとなったとか。いやー若いもんには、親切にしとかなあかんね。

多くのテーマを盛り込んだために、ファンが期待する仮面ライダーの本質からはズレてしまってるかもしれない。しかし逆を言えば仮面ライダーという世界の上でなんでも描くことができるのだ。この一作で終わらず、様々なテーマの作品が登場してくれることを願いたい。めったに仮面ライダーに触れない自分がいうことにはばかられるけども、もちろん、それには仮面ライダーという世界が力強く存在してくれなくてはいけない。

仮面ライダー50周年。本作の舞台挨拶で白石監督は「仮面ライダー50年、作り続けてきてくれた俳優、スタッフに深く感謝を申し上げます」とコメントした。あえて自分が付け加えるなら、ずっと追いかけているファンにも感謝したい。

この作品のしんどさは心地よかった。シンウルトラマンの感想でも書いたけど、もっとたくさんの「大ウソ」をついてる作品がみたいのだ!





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