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【読書感想文】シン・ニホン

安宅和人さんの本、「シン・ニホン」を読みました。

(追記)友人と感想を話して。

最初の感想に書いていなかったけど、僕が抱いていたことが、人と話すことで整理できた。

①「GDP基準の勝ち負け」ってそもそも追求する必要あるのか?

負け続き、という話をされると、どうしても、「その勝負をする意味があるのか?」と穿った見方をしがちな僕。ただ、読みながら、「このままGDPでの負けがかさみすぎると、GDP外の戦いをしたい、なんていうヌルいことも言えなくなるぞ?」という危機感で、安宅さんは書いたのかな、と理解したので、一旦ここは置いておこう、と思った。
なお、友人からは「限界費用ゼロ社会」の考え方を考慮すると、たしかに、GDPの増大だけが価値じゃあないよね、というフィードバックをもらった。

②自分がAI-readeyになるつもりにならない話

僕は自分のビジネスキャリアの中で、2回、AI-readyになる明確なチャンスがあったし、その両方で、そのチャンスを見送ってきた。
一回目は、前職のメーカーで研究開発をするなかで、データ分析人材の育成プログラムの公募があったこと。しかも、プログラムの主導は僕の動機だった。もう一回は、いまの会社でデータ分析環境の構築をしている、まさにいま。
一回目も二回目も、結局、ぼくは「AI×データ」が自分の仕事にどう生かせるかをわかっていることが重要であって、自分ができるようになる必要はないだろう、という風に結論づけていた。
シン・ニホンの問題意識には共感したが、不思議と、この考えは変わらなかった。

③この本を読んで会計の勉強の必要性を感じた話

「この本を読んで、やっぱ会計って大事だと思った」と友人に話したら、ポカンとされた。
最近、簿記の勉強を始めたことあって、PL・BSの議論がぼくはすごく面白く感じたんだけど、そういう問題意識がなければ、案外響かないポイントらしい。
逆に、僕に簿記の勉強を勧めてくれたのは今の会社の経営者だが、こういう視点をもってほしくて、「簿記二級とったほうがいい」って言ってくれているんだろうな、と思った。

追記はここまで

この本が投げかける問いは「君はどうする?」だった

最近、僕にとって本を読む楽しみは、"新しい情報を手に入れること"から、"新しく考える種をみつけること"に変わってきているなあ、と漠然と考えています。そんななかで、この本を読みながら僕が考えたことは、「これ読んで、さあ、何をしようか」ということでした。つまり、考える種をくれたし、さらに、考えているだけでいいの?と行動を促されるような本でした。

僕の周りでこの本を読んだ友人の何人かが、いつになく、「誰かと感想を語りたい」と言っています。僕は勝手に、みんな似たような気持ちになって、いてもたっても居られないんだろうな、と想像しています。明日の夜、早速友人たちとオンラインで感想を話す機会が設けられたので、それまでに、一旦自分の考えを整理しようと思ってこのnoteを書いています。

考えたレイヤーは、国→組織→自分

シン・ニホンは、題名の通り、日本(およびそれを取り巻く世界)がどういう状況で、どうなりそうで、どう手を打つとよさそうか?ということに関する本なので、読みながら、もちろん、について思いを馳せざるを得ません。しかし、現時点の僕の状況で、国について安宅さんが提案する打ち手を読んで、めちゃくちゃ現実感を持てるとか、じゃあ、明日こうしよう、と思える何かがあるか?というと、そんなことはないです。
こういうことを考える前提として、安宅さんが共有してくれる現状認識とそれに対する危機感とか、さらに提案される打ちての鮮やかさに、すごく共感している、ということがあります。
ただ、安宅さんの提示してくれる視座が、本当に「国」のレイヤーだから、僕が直接的に影響を与えられることは、今の段階ではそう多くないんだよな、と思う面があります。
僕にとっては、日本をどうしたいか?は、ほとんど、自分の子どもたちにどう生きてほしいか?という問いと一緒なので、すごく切実な問題ではあります。

シン・ニホンと自分のいる組織

じゃあ、自分の所属している組織を通じて、なにかやれることあるんだっけ、と考えました。いまの会社は、たぶん、外の人からしたら、「シン・ニホン」的な内容とはそんなに関係がなさそうに思えるんじゃないかな、と思います。でも、僕はこの本を読みながら、「持ち場を守る」ことの大事さも感じたのでした。

大筋としては、「火事場」の話をしている本だと思います。出火しちゃっているところの消火と、これ以上燃え広がないようにする対策と、燃えてしまったところをどう蘇らせるか。
冒頭、「行動を促されるような本」と書きましたが、きっと、それは火事が起きていることをデータで突きつけられたからなんだろうな、と考えました。自分が住んでいる地域が家事になったのだとしたら、火を消しに行きたくなります。とはいえ、消火活動をする人のご飯を作る人だっているだろうし、その人達が一息つくときに読む本だって、必要だと思います。なんだかんだと考えれば、全部つながっているはずなんです。だから、「持ち場を守る」ことは、絶対大事。

ただ、「持ち場を守ることの大切さを感じた」という感想で、この本から得たものをお終いにすることには、ものすごく抵抗があるんだよなあ、とも書きながら思っています。火事場と持ち場の問題は、ずっと結論だせないのかもせしれないなあ、とすら思います。

(noteでいまの会社の社名を晒していないことに気がついて、死ぬほど書きづらい)

シン・ニホンと自分

そして、自分は、果たしてこんな本の視座でものごとをみたり、安宅さんの提示するような打ち手を提案できるようになるんだろうか、ということも考えました。「シン・ニホンと自分」というよりは「安宅さんと自分」の対比です。

慎さんが、「イシューからはじめよ」の実践編、と書かれていたけど、本当にそのとおりだと思いました。

この本には、「安宅さんみたいに考えることができるようになるんだろうか?」という考えを持つような仕掛けがしてあって、アチコチに、安宅さんの思考体系が言語化して散りばめられているのでした。

知性の核心が知覚にある話とか、不確実性に立ち向かう方法とか、PL/BSをみて対策を考える話とか。たぶん、それぞれで本を一冊書いてほしいレベルのお題。ウォーターフォール図って、めっちゃ大事だし、ちゃんと使うとすごく理解を助ける図なんだな、というのをこの本で学んだりとか。

まあ、こういう風に考えられるんだろうか?は、時間かけてがんばるしかないですね。

とりあえず、感想を話す会の手前の整理としてはここまで。

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