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「イシューからはじめよ」と「やりたいことなんてなくていい」の、関係

「やりたいこと」?

イシューからはじめたい、と、常々考えているし、一方で、僕にはずっと、「やりたいこと」なんてないんだよな、とも思っていて、このギャップはなんだろうってずっと思っていた。伊藤羊一さんが「やりたいことなんてなくていい」と、言い切ってくれた本を読んで、あ、両立できるんだ、と気がついた。

僕は高校のときから好きだった化学をずっと続けていたし、前職でもわあわあ賑やかにやっていたし、何かの意図がないとありえないだろうっていうジョブチェンジをしたしで、もしかしたら、「やりたいこと」が明確にあるタイプなのかもしれないけど、自己認識としては、「やりたいこと」なんて、ずっとなくて、転職を除けば、むしろ敷かれたレールの上を走ってきた感覚すらあるくらい。でも、だからヤバい、という思いもなかったから、羊一さんの本のタイトルをみて、「これ絶対俺の考えを言葉てくれている本だ」って思った。

「やりたいことなんてなくていい」

「やりたいことなんてなくていい」の中で、羊一さんは、will can mustの話と、自分の軸や信念という、二つのフェーズの話をしている。

ざっくりカタカナでいうと、前者はタスクとかジョブとかにまつわる話。後者はパーパスとかミッションとかビジョンにまつわる話。

羊一さんの本は、やりたいタスクが、いまなくても、本気でやってれば、パーパスはいつか見えてくる。羊一さん自身がそうだったから、きっとそう。ということを伝えてくれている。あー、たしかに、ととても納得した。

一方、イシューからはじめよで、一番大事なのは、何がイシューかを見極めよ、ということだと理解している。その観点でいうと、人生における「イシュー」とは何か?というと、たぶん、どんな職業につくかとか、業種がなにかとかじゃない。どんなタスクをこなしたいか、でもない。たぶん、自分のパーパスは何?ということが、イシューだし、もしかしたら、「人生におけるイシューとは何か?」が最大のイシューでは、という気もする。

ドラッカーも、自分が宗教の先生に13歳のときに言われた「何をもって覚えられたいか」という問いを僕らに投げかけてくれている。そして、「いま、その問いに答えられる必要はないが、歳をとってからその問いに答えられないとすると人生を無駄に過ごしたことになる」と言っている。おんなじだなあ、と思った。

僕の「やりたいこと」

僕は、新卒で前職のメーカーに入社するときから、これと言って、やりたいタスクやジョブがあったわけではなかった。R&Dは好きだし化学も好きだけど、一生やる感じでもないしな、と思っていた。そして、入社時に達成したい目標として書いていたのは「お前がいてくれてよかった、と思われる仕事をする」だった。抽象的すぎて、これ質問に答えてないよなあ。どんな仕事をして、「いてくれてよかった」と思われたいかが聞かれてるんだろうに。と思っていた。

そこから、転職して、自分の培ってきたスキルや経験がほとんど役に立たない職場にきて一年が経つ。先日、上司と月一の1on1をしたときに、上司が「いてくれてよかったと思われるのが大事かもね」という話をしてくれた。

新卒のときは抽象的すぎて、大丈夫かこれ?と思ってたフレーズに、一周まわって、戻ってきた。

いまは、このフレーズでも、いいんじゃないか?と思えている。

いまもって、これを別の具体的な言葉に置き換えるのは難しいのだけど、新卒のときと違うのは、この抽象的なフレーズの中に、たくさんの具体的なエピソードが詰まっていることだな、とこれを書きながら思った。たぶん、あれとあれとあれのときには、いてくれてよかった、と思われているはず、と。

ちょっといい話っぽく書きすぎたか…

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