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(続)噺家は噺家のやり方で愛を込める

引き続き「柳家小三治・三三 親子会」について綴ります。
昨日は、弟子である柳家三三師が、かけた演目「火事息子」に込めた(であろう)想いを想像し綴りました。


そして、この会のトリ(ラスボスみたいな)は、師匠である柳家小三治師です。弟子のネタを聴いて、高座に上がる師匠は、どうするんだろう。
背筋の伸びた小三治師が、ゆっくりと高座に向かって歩いてくる。その様子は、まるで武士。悠然としている。
申し訳ないというか、なんというか、さっきまでのことを全部忘れてしまった。それほどに会場の空気を変えた。
※小三治師匠の様子についてはこちらで↓

マクラが終わっていくことを惜しみつつも、演目が始まる。
(マクラの楽しさと長さが素晴らしくて、「マクラの小三治」と呼ばれている)

「蒟蒻問答」だ。

かつては江戸でヤクザをやっていたが今は堅気となって田舎暮らしをしている六兵衛。面倒見の良い親分肌で、銭の無い若い衆の八公が六兵衛を頼って訪ねてくる。坊主不在のお寺で、僧侶のまね事をするよう世話してやる。
そこへ旅の僧侶が、問答をしたいと来てしまう…その後、六兵衛が坊主に扮して対決することに。

面倒見のよい親分の六兵衛は、小三治師にピッタリハマってるんです。
さほど口数は多くないけど、周りが見えているというか、配慮もあるけど、へりくだるような卑屈さもない。

自分も僧侶と問答なんてできないけど、若い衆のためならやってみるか、っとやってのける。そのクレバーさと場数を踏んでいる堂々とした威風が、僧侶を凌駕していく。可笑しみのレトリックが効いている。


師匠は、ある意味で親分なんだ。いろんなもの背負ってくれてる。

そんな風にワタシは思っている。やっぱり師匠はデカい!

前からなんだけど、師匠がやんちゃな印象が、スゴくある。

親分がハマりすぎてるなかな。

それとも、そもそもやんちゃなのか。

いや、やんちゃなんだ。


人間国宝という仰ぎ見る存在が、少しだけ近くに感じられる体験をした。


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