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悲しみにてやんでぃ

落語にはタイトルがあって、演目と呼ばれている。同じ演目でも噺家によって、展開が違ったりサゲが違ったり。登場人物のキャラクター設定が違うこともよくある。語る人が異なるだけで噺の雰囲気、印象がまったく変わってくるのだ。

同じ演目でも、ある時は江戸の人情にフォーカスされていたり、滑稽な可笑しさの読後感の時もある。そこが何度聴いても愉しい所以だと思うのだ。そのため、噺家は語り手であり演出家でもある。

なぜこのタイトルがついてるのか不思議ってのもある。「らくだ」という演目なんかは、人の名前であり、その人はもうすでに死んでいるところから噺が始まる。傑作の演目だ。

創作落語にも、もちろん演目名がついている。古典落語と同じように、演目名は実に「落語的」だ。噺を聴いて演目名をみると、なんともしみじみするものもあって、自分の気持ち心境によって変わったりするのも愉しみの一つ。

今のワタシの気持ちにフィットするのが、「悲しみにてやんでぃ」なのだ。春風亭昇太師の創作落語で、現代社会を逆行するように噺家になるオトコの悲しくも笑える演目。彼女と4年間の前座修行を経て再会する。その再会したオトコは、見事に?身も心も噺家になっていて、あっさりフラれてしまう。

昇太師の明るい落語で、笑わされて終わっていくけど、演目名を改めてみると、どっか切なくて悲哀を感じる。

彼女との別れ、現代から乖離していくような人生を笑い飛ばす、やせ我慢のコトバ。てやんでぃ。

どんな不幸でも、視点を変えたり、時間が経てば笑えるんじゃないかって、投げ掛けらてる噺だとワタシは信じてる。


どんな時でもワタシもそうありたい。

悲しみにてやんでぃ



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