私は、島崎邦彦『3.11 大津波の対策を邪魔した男たち』(青志社、2023)を何度も読み直し、考察しましたが、島崎さんは、結果論から、自身に都合良く過去の出来事を解釈しており、具体的に指摘すれば、・・・

私は、島崎邦彦『3.11 大津波の対策を邪魔した男たち』(青志社、2023)を何度も読み直し、考察しましたが、さらに、雑誌『科学』:島崎邦彦「葬られた津波対策をたどって」 (iwanami.co.jp)や東電経営者訴訟判決文(https://shien-dan.org/decision-full-text/)を読み、島崎さん(国の組織の「長期予測部会」の部会長を2012年まで、17年間も務めた)は、結果論から、自身に都合良く過去の出来事を解釈しており、具体的に指摘すれば、国の地震調査研究推進本部は、東北地方太平洋海域のモーメントマグニチュード(Mw)を評価し、八区域に分け、Mw=7.5-8.4とし、3.11地震の発生した区域に対しては、Mw=8.4であり、1980年以降、改正しておらず、もちろん、2002年頃、検討されましたが、改正されておらず(「島崎さんらのグループは、2002年6月、三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価を取りまとめ、三陸沖から房総沖のどこでも巨大な津波を伴う地震が発生する可能性があると指摘した」、しかし、根拠の弱い予測のため、公開せず)、それが、島崎さんの意志ではなく、日本の地震専門家の総意であれば、手順が間違っているとは言えず、Mw=8.4とMw=9.0では、地震エネルギーにして、約100倍の違いであり、当時の日本の地震研究者の総意を尽くしても、その程度であり、結果論から、島崎さんひとり、「私は、当時、Mw=8.4を認めていなかった」と主張しても、それも、島崎さんは、その他の大勢の研究者のひとりではなくて、指導的トップの立場でしたから、たとえ、自身の理想ではなくても、総意として公表した値ならば、たとえ、後知恵でも、世の中、通用しないでしょう。
島崎さんには、3.11以前、東北地方太平洋海域で、最大Mw=8.4-9.0の論拠を記載した学会論文誌原著論文が、存在するのか?
私は、AIに、「島崎さんの予測はなぜ外れたのですか」と問いかけたところ、

島崎邦彦さんの予測が外れた理由は、地震予測の困難さと、その時点での科学的知識の限界によるものです。具体的には以下のような要素が挙げられます:
地震の予測の難しさ:地震の発生は、地下深くで起こる複雑な現象であり、その詳細なメカニズムはまだ完全には解明されていません。そのため、地震の発生時期や規模を正確に予測することは非常に困難です
科学的知識の限界:島崎さんの予測は、当時の科学的知識と技術をもとにしたものでした。しかし、3.11地震はその予測をはるかに超える規模の地震であり、その発生は科学的知識の限界を示すものでした
政策との関連:島崎さんが部会長を務める地震調査委員会の長期評価部会は、2002年の夏、東日本の太平洋側ではどこでも津波を伴う地震が起こり得ると警告しましたが、国も自治体も十分な対策を講じませんでした。また、東北の連動型地震に関する報告書を公表する予定でしたが、都合で延期してしまいました
これらの要素が組み合わさり、島崎さんの予測が実際の地震の規模を下回る結果となりました。これは、地震予測の難しさと、科学的知識の限界、そしてそれをどのように社会に適用するかという問題を改めて浮き彫りにした事例と言えるでしょう

なる回答があり、島崎さんは、日本の地震関係者と組織を代表する責任ある立場であり、途中、どのような経緯があったにせよ、責任を負わねばならない立場にあり、「部下や省庁がダメだったから、こうなった」と言う言い訳は、できません。

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