AIに、「神武天皇は、歴史上の人物ですか、その根拠は何ですか」「正当な天皇は北朝か南朝か」「南北朝時代とは何」「立憲君主制とは何」「世界で立憲君主制の国はどこですか」と質問 私は、「古事記」と「日本書紀」をくり返し吟味しており、神話と歴史を連続的につないでいることに、違和感を覚え、宗教学の神道の視点から、天皇制度の根拠について考察

質問

分かり切ったことですが、AIの癖を把握するため、AIに、「神武天皇は、歴史上の人物ですか、その根拠は何ですか」「正当な天皇は北朝か南朝か」「南北朝時代とは何」「立憲君主制とは何」「世界で立憲君主制の国はどこですか」と質問。

回答

順次。

神武天皇については、歴史的な証拠と神話や伝説が混在しており、その実在性については学界でも意見が分かれています
神武天皇は、日本の初代天皇とされ、『古事記』や『日本書紀』などの古代の文献に記述されています。これらの文献によれば、神武天皇は天照大神の孫である瓊瓊杵尊の曾孫とされています。また、神武天皇は「神武東征」を行い、大和の地を平定し、日本国を建国したとされています
しかし、これらの記述は神話や伝説の範疇に属し、歴史的な事実としての確証は存在しません。また、神武天皇の墓所についても諸説あり、その位置が特定されていないことも、神武天皇の実在性を確認する上での難点となっています
一方で、明治時代になってから、神武天皇の存在は日本国家の象徴として重要視され、全国規模で天皇・皇族の陵墓の洗い出しと認定作業が行われました。このように、神武天皇の存在は、歴史的な事実というよりは、国家や文化の象徴としての意義を持つと考えられています
したがって、神武天皇の実在性については、現在のところ確定的な結論は出ていないと言えます。神武天皇についての詳細な議論や見解については、専門家の意見や学術的な研究を参照することをお勧めします

日本の南北朝時代における「正当な天皇」については、歴史的な観点から見ると、複雑な問題です。南北朝時代は、天皇が2つに分かれていた時代で、大覚寺統(南朝)と持明院統(北朝)という2つの天皇の系統が存在していました
現在の天皇家は「北朝」の子孫ですが、「南朝が正統」とされている理由は、足利義満が「南朝を正統と認めます」という政治的決着で南北朝を合一したからです。しかし、形式的には、南北朝の分裂は「南朝正統」で決着したとされています
また、明治時代になってからは、「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」という大日本帝国憲法の記載により、天皇家の血筋は一度も途切れていないとされ、南北朝時代の出来事からは目を背けるようになりました
したがって、どちらが「正当な天皇」かという問いに対する答えは、時代や視点により異なると言えます。このような歴史的な事象については、多角的に理解することが重要です。

南北朝時代は、1336年から1392年までの約56年間にわたる日本の歴史時代を指します。この時期は、鎌倉時代と室町時代の中間に位置し、日本において2つの異なる天皇が同時期に存在した特異な時代でした。
この時期は、日本の歴史上稀な56年間であり、多くの人々が関与した複雑な時代でした。

立憲君主制は、君主制における君主の権力が憲法によって規制されている政体を指します。この制度では、君主も憲法を違反することができない状態になります
立憲君主制には主に二つの型があります
イギリス型:憲法下で議会が権力を持ち、君主権は名目である。現代の君主制のほとんどは、イギリス型の立憲君主制とされています
ドイツ帝国型:憲法下でも実際は君主権が制限されない。大日本帝国憲法下の日本は、ドイツ型の立憲君主制とされていました
立憲君主制のメリットとしては、君主が存在することで国家が安定し、また、いざという時には君主が国民をまとめ上げる役割を果たすことが挙げられます。一方で、デメリットとしては、大規模な改革が行いにくいという点があります
立憲君主制は、君主が「君臨すれども統治せず」の原則に従い、君主の権能は制限されていく傾向があります。この原理は日本国憲法下の天皇やベルギー憲法下の国王にも共通すると言われています
以上の情報は一部であり、立憲君主制についての詳細な議論や見解については、専門家の意見や学術的な研究を参照することをお勧めします

世界には多くの立憲君主制の国が存在します。以下にいくつかの例を挙げます
アジア
日本(天皇)
タイ(国王)
ブルネイ(国王)
マレーシア(国王)
カンボジア(国王)
クウェート(首長)
バーレーン(国王)
カタール(首長)
ヨーロッパ
イギリス(国王)
スペイン(国王)
ベルギー(国王)
デンマーク(国王)
スウェーデン(国王)
ノルウェー(国王)
オランダ(国王)
ルクセンブルク(大公)
アフリカ
モロッコ(国王)
オセアニア
トンガ(国王)
これらの国々は、君主が象徴的な役割を果たし、政治的な権力は憲法に基づいて制限されています。ただし、これらは一部の例であり、他にも立憲君主制を採用している国は存在します。具体的な議論や見解については、専門家の意見や学術的な研究を参照することをお勧めします

感想

AIの回答は一般論のレベル。
私は、「古事記」と「日本書紀」をくり返し吟味しており、神話と歴史を連続的につないでいることに、違和感を覚え、宗教学の神道(神は天照大神ではない。神話では、神武天皇は、天照大神の系統とされています)の視点から、天皇制度の根拠について、儀式について、考察してきましたが、南朝(足利義満による南北朝統一のための政治的判定での正当性)と北朝(今の天皇の系統)の正当性の考察を深めねばなりません。
なお、神道とは、皇室神道とは、皇室神道の儀式についてのAI検索の結果は以下のとおりです。

皇室神道は、日本の皇室に関連する神道の一形態です。以下に詳しく説明します。
神道とは? 神道は日本の古来からの宗教で、惟神道(かんながらのみち)とも呼ばれます。具体的な教典や開祖は存在せず、八百万の神や自然現象に基づくアニミズム的・祖霊崇拝的な宗教です。自然と神は一体として認識され、神と人間を結ぶ具体的な作法は祭祀で行われ、その場所が神社とされています。明治維新から第二次世界大戦終結まで、政府によって事実上の国家宗教とされました
皇室神道 皇室神道は、天皇が古代から行ってきた宮中祭祀を中心とする神道です。新年の四方拝や歳旦祭、五穀豊穣や国家・国民の安寧を祈る新嘗祭(天皇即位後初の新嘗祭は大嘗祭とも呼ばれます)などが行われます。これらの祭祀は天皇の私事となりましたが、神道との深い関係があります。主な理由は、神に国家と国民の平和を祈願することが中心です
仏教と皇室 仏教も日本の歴史に深く関わっており、皇室との関係もあります。奈良時代には仏教が受容され、神道と仏教が一体化する流れも生まれました。しかし、明治時代以降の神仏分離により、現在では皇室は完全に神道に関連しています
このように、日本の歴史や文化において、神道と皇室は密接に結びついています。

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