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フィガロの結婚

もう30年ほど前になる。
大学の1回生のころだ。清水の舞台から飛び降りる気持ちで、3枚組6000円のCDを買った。それが初めてのオペラ、『フィガロの結婚』だ。ちなみに元値は6400円、若干の値引きだった。


当時の貧乏学生の私にとって、良いかどうかわからないCDに6000円払うのは一大事だ。今ならYouTubeでチェックしてから買うことができる(いや、そのままYouTubeで聴くので買うことはない)が、当時はそれができないのだ。

高校時代からある程度クラシック音楽を聴き始めていたが、ちょうど大学に入る前後に宇野功芳氏の『クラシックの名曲名盤』に接し、それをもとにCDを買い集めていた。
最初は交響曲や協奏曲から始めた。良い!と思うのもあれば、そうでもないのもあった。彼が絶賛しているのにイマイチだと萎えることもあった。そんな中、たまたま立ち寄った大阪のタワーレコードで、彼が絶賛するこのCDと出会ったのだった。

帰宅後、まず序曲を聴いて、稲妻に脳天を抜かれる思いをした。モーツァルトの素晴らしさが凝縮した曲だ。それ以降もモーツァルトらしい典雅な曲が満載だ。
そのCDには分厚い歌詞も付いていた。CDを聴きながら、なんとか理解しようと歌詞を読みこんだが、理解できなかったのですぐに飽きた。そもそも、あの時代のオペラはスジが荒唐無稽なことが多いのだ。スジは気にせず、音楽だけを楽しむのが吉だと思った。

ちょうどその時、『信長の野望』というゲームにはまっていて、クラブの練習以外の時間は、授業も出ずにひたすらゲームをしていた。
面倒なので外食も自炊もせず、ひたすら近くの弁当屋に行っていた。選ぶのすら面倒なので、毎回「明太子ノリ弁当大盛」を買っていた。あまりにそればかり食べているので、店員から「これ気に入りました?」と言われた。もう数十年前のことなのに、なぜかあの時の店員の表情まで覚えている。
そのゲームをしているとき、ずっとこのCDを聴いていた。CDを選ぶことすら面倒だったので、とにかく買ったばかりのこのCDを連続再生したのだ。
そのおかげか、フィガロについてはすっかり耳に馴染んでいる。
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オペラは高い。
オーケストラに加え、歌手が必要だ。衣装も舞台も必要だし、演出も必要だ。合わせるのに時間がかかるので、それに応じてコストがかかる。高いのは当然だ。
貧乏学生の当時、オペラを聴きに行くことなんて一生ないと思っていた。
今年、セイジオザワフェスティバルでこのオペラをやると知り、申し込んだ。思い切ってS席だ。指揮者はすぐそこ、手の動きまでわかるところにいた。
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演奏は最高だった。
終了後のカーテンコールが感動的だった。思わずスタンディングオベーションした。
歌手の体調不良により急遽代役となった女性歌手には、一際大きな拍手がなされた。彼女がどんなハイプレッシャーのもとで演技をしたか、みんな知っているのだ。
彼女に限らず、歌手はこの一回の演技のために、命をかけてやっていたのだろう。オケも指揮者も同様だ。それぞれが、それぞれの人生をかけて演奏していた。
幼い頃から毎日何時間も練習してきた天才たちが、はるばる東京から来た観客のために命をかけて演奏する。
そんな珠玉の時間を過ごすことができた。感動だ。
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奇しくも、今回のセイジオザワフェスティバルは30周年とのこと。30年前は私が初めてフィガロを聴き始めた頃だ。
30年前の貧乏学生の私に、これをナマで見れる大人になっとるよ、と言ってやりたい。

『人の生涯は、ときに小説に似ている。主題がある。』(竜馬がゆく) 私の人生の主題は、自分の能力を世に問い、評価してもらって社会に貢献することです。 本noteは自分の考えをより多くの人に知ってもらうために書いています。 少しでも皆様のご参考になれば幸いです。