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これも一つのアオハル

どうしてもこの話は書いておきたいと思い、筆を執りました。
これまでの人生で何度か忘れがたいシーンに巡り合いましたが、その一つです。


私は学生時代、空手道部に所属し、そこから選出されて体育会本部という生徒会のようなものの役員をしていました。
幹事長という、学生で一番エラい役職でした。
体育会本部の幹事長をしていると、しばしばパーティーなどの行事に呼ばれます。

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私はあるとき応援団の卒団式に呼ばれて出向きました。
卒団式に赴くと、前の役員席のほうに見慣れないご夫婦の姿がありました。
そういうところにいるおじさん達は、たいていOBなので、やや現役に対して態度が横柄なのですが、その方はどうも様子が違いました。
私は親しい応援団の後輩を捕まえて、「あれ誰?」と聞きましたが、不得要領な回答でしかありませんでした。


卒団式のおおむねのセレモニーが終わり、現役から卒団していく先輩に対してエールがされた後、そのご夫婦が演壇に立ちました。
そこで、その方が語った内容は、


「息子が大学に入ってから、応援団に所属して約1年。
不慮の事故で亡くなり、数年が過ぎました。
現役の応援団諸君は、東京の我々の自宅まで、遠征のたびに来てくれて、墓参りをしてくれました。
年賀状や暑中見舞いなど、送ってくれました。
合宿のたびに、絵葉書を書いてくれました。
今日、卒団式に呼んでくれて、感無量です。
息子は1年生で亡くなりましたが、現役諸君が私の息子のようなものです。
これまで本当にありがとう」


といったものでした。
そのとき、私は一瞬で理解しました。

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私が1年生の冬、応援団と水泳部の懇親会があり、当然そういう飲み会は大荒れに荒れるのですが、その後大学周辺で交通事故に遭い、一人が死亡、一人が重傷という事件があったことを思い出しました。


死亡事故があってから数年経っています。
その間、その人のことを忘れず、墓参りに行ったり、絵葉書を送ったりし続けた応援団。
命日には、毎年事故現場に出向き、花を手向け続けたことを私は知っています。
わずか数年でメンバーが入れ替わる学生の組織において、こういう行為を継続しているということに瞠目します。

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その後、私の同期の応援団長のO君は、応援団の後輩と結婚したのですが、結婚の報告に、そのご夫婦を訪ね、墓参りをしたようです。


そのあとに、東京に住んでいた私の自宅に来てくれました。
「なんで東京に来たん?」と聞きましたが、これまた不得要領な回答で、いぶかしく思っていましたが、彼らが自宅から帰ったあとに、気づきました。
彼らは墓参りに来たんだ、と。


K大学応援団、さすがです。
あんたら、最高やで!
(もう一人重傷を負ったO君は、私の親友です。数カ月の入院後、回復しました。今は某大学で教官として頑張っています)

学生時代は、ほぼ色恋沙汰とは縁遠い生活を送っていましたが、これも一つの青春だったと思います。

『人の生涯は、ときに小説に似ている。主題がある。』(竜馬がゆく) 私の人生の主題は、自分の能力を世に問い、評価してもらって社会に貢献することです。 本noteは自分の考えをより多くの人に知ってもらうために書いています。 少しでも皆様のご参考になれば幸いです。