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落日の死影

 関東大震災の翌日、瓦礫の散乱する浅草の路上にて、異形の怪物と立ち会う男の斬り飛ばされた左腕が瞬き一つする間にピタリと元通りに着いた理由なら在る。

 着いた左手は右手と共に大鉈の柄を握って異形に斬りかかった。後ろ足で立つ獣のような異形の前で、今度は男の右足がひとりでに切り取られて落ちた。転倒するかに見えた男はしかし異形の胴を袈裟斬りに斬り降ろしている。身体が軽くなるのを補うための重たい鉈だった。

 男の落ちた足はフィルムの逆回しのようにして、やはり元通りに治った。斬られた異形は血反吐を吐いてのたうち、今際に怨念のすべてを込めて男を見た。異形が死ぬのと、鉄板を巻いた男の首から火花が散るのは同時だった。

「か……! は……!」

 男は首元を抑えながらその場を離れる。手をどくどくと血が伝う。治らない。いたちが死んだからだ。助かるには……

 視界を覆うのは暗い雲。散らばる屋根瓦。倒れた電柱。未だ消えない火事の煙。一時その全てがぐらぐらと揺れた。あまりの揺れに男は立っていられなくなり、足をもつれさせて倒れ、そのまま起き上がらなかった。

 一帯を襲った揺れは意思を持った邪悪なもので、いたちの一頭目の仕業だった。これは大地を揺るがせ、人を転ばせる。続く二頭目は先の揺れで転倒した人間の前に現れる。容赦なく肉を裂き、時には首も落としてしまう。だが切り傷は三頭目がたちどころに治してしまうので、後に残ることはない。斬られた者が死んでいれば話は別だが。

 揺れが収まると足をとられて転倒した人々が立ち上がり、めいめいが向かっていた方角へと歩き出した。最後に起き上がったのはそれまでピクリとも動かなかった鉈や猟銃で武装した男だった。

 首の傷はすでに治っている。今しがた出現した三頭目の神通力である。彼は鎌いたちを仕留めるべく、覚束ない足取りで瓦礫の町を歩き出した。灰を溢す煙草の火のような夕陽が彼を照らしている。

【続く】

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