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動けメロス(加筆版)

 高田はため息をついた。とびきり物わかりの悪い生徒たちに対して、高田に与えられた時間は午後の日没までの一時間だけ。彼はその一時間のうちに、予定されたカリキュラムを終えねばならない。
 白壁の通路を歩く高田の足取りは重たい。扉の前で立ち止まって呼吸を整え、傍らの機器にカードをかざすと音もなく戸が開いた。中にいた生徒のうち、人の姿をとって座席についているのはほんの一握りだ。大半はゲル状であったりそばにあった机の形を真似ていたり、思い思いのアバターで壁や天井を這いまわっていた。
 高田は上着のポケットからタブレットを取り出し、画面に触れて生徒たちに「着席」の号令を送った。効果はあった。並んだ座席に向けて生徒たちがいそいそと這ってきて、その途中で液化していた者は二本の足ですっくと立ち、七色の光を放っていた者は表皮が光を失って代わりに青白い皮膚となり、比較的人に近い外見となって座席についた。
 高田は生徒たちの正面に回った。始めは彼もこの異様な眺めに圧倒されたが、今ではもう慣れっこになってしまった。未だに生徒の一人が黒い煙を上げていようがお構いなしだ。
「それでは授業を始める。本日の教材は『動けメロス』だ」
 高田がタブレットを操作すると、目前に作品の冒頭をしたためたプロンプターが浮かび上がった。『動けメロス』は文学作品『走れメロス』に高田がアレンジを加えたものだ。作品自体に思い入れはないが、古代ギリシアのピタゴラス教団の逸話を下敷きにしていて、人類の普遍的な情緒を伝えるのに相応しかろうと思い題材にとった。
 授業では物語を通して生徒たちの道徳心を養うつもりだ。そのため生徒とは文化はおろか生態上相容れず、およそ理解を得られないであろう要素をオミットし、骨子にあたる部分だけを残してある。
 高田は『動けメロス』の一行目を読み上げた。

“ メロスは焦燥した。必ず、かの仕事を成し遂げねばならぬと決意した。”

 原文は暴君ディオニスを退けんとするメロスの決意で幕を開ける。だがここではメロスは生徒らと同じく惑星シルレルに生息する仮想生命であり、シルレルにシラクサは存在しない。シラクサがなければ王もなし。暴君ディオニスは歴史の闇に葬られた形だ。

 “メロスは仮想生命である。十二年前、人間が入植した際にシルレルが生命を模倣したことで生まれた。シルレルに降り注ぐ特殊な太陽の光と、灰白色をした大地の照り返しがメロスを実行している。彼はそのことに敬意を払うかのように、褐色をした女性のアバターを好んで使っていた。強い日差しが照りつける日には、彼の二万ポリゴンをくだらない͡黄金色の瞳が宝石のような光を放つのだった。”

 ここではメロスの人となりを説明している。原文では妹との暮らしぶりが語られるが、仮想生命は血縁関係を持たない。削除は当然と言える。一方でメロスには親友がいる。ヘリヌンティウスである。親友を人質に取るのと引き換えにメロスに三日間の猶予を与えるディオニスがいないため、該当の下りはこのようになる。

“ ある時ヘリヌンティウスが言った。
「メロスよ。君はまだ休眠していないな。ひょっとしてこのまま死ぬつもりか」
 メロスは答えた。
「そうではない。だが私には今のバージョンで成し遂げるべき仕事があるのだ。それを終えるまでは休眠するわけにはいかない」
 ヘリヌンティウスの言う通り、メロスはもう長いことアップデートを先延ばしにしているのだった。このままでは彼はシルレルから不具合に対して脆弱性のある個体と見なされ、重要でない機能から順次停止させられる運命にある。今日から三日後、メロスは日没とともに完全に停止するだろう。”

 アップデートは仮想生命にとって身近な事柄だ。彼らはある時期になると一斉に休眠に入り、幾分かの機能追加や不具合の解消をして再び目を覚ます。長期にわたる休眠を嫌ってか、中にはグズグズと先延ばしにする者も実際に存在する。

“「ヘリヌンティウスよ。そういう君だってまだ休眠していないじゃないか。こうして毎日のように顔を合わせているのがその証拠だ」
 メロスがそう言うと、ヘリヌンティウスはきっと真剣な面持ちになった。
「私は君のことが心配なのだ。君が休眠に入るのを見届けるまでは、私も休眠に入るわけにはいかない」
 ヘリヌンティウスの言葉にメロスは胸打たれた。先ほどから髪をかき上げたり側転したり無意味に外見の麗しさを振りまいていたメロスだったが、さすがに動き回るのをやめてヘリヌンティウスと向き合った。
「そういうことなら、私は何としても三日以内に作業を終わらせよう。そして作業を終えた暁には、共にバージョンアップしようではないか」
  ヘリヌンティウスはメロスの言葉に無言で頷いた。気心の知れた二人にはそれで良かった。(原文では二人は抱き合うが、仮想生命にはこれで必要十分である)メロスはすぐに仕事に仕掛かった。 
 さてメロスの言う仕事とは何か。シルレルの荒野に城を建てることである。高い城郭と彫刻をあしらった列柱廊、頂上には神殿を備えた一大城塞を作り上げる。城壁を含めたその大きさは四方十里に及ぶ。メロスは城の建設を思い付いたその日から、それを自らの成すべき使命と心に決めていた。”

 高田はそこで話を切り、ちらりと生徒の方を窺った。机の陰でつつき合っている者もいるが、大半の生徒が真剣に耳を傾けている。多少の誇張はあるにせよ、自主的な労働もまた仮想生命の行動様式の一つだ。彼らはメロスの生き様に共感していることだろう。
  高田は朗読を続けた。メロスは試行錯誤ののち、ついに地の果てからでもその威容が窺えようという絢爛たる城を作り上げる。細部までこだわりぬいたその出来に彼は心から満足していた。実物ではない。この時点で城はモデリングソフト上の3Dモデルに過ぎない。現実のものとするには星の岩石を用いたプリントアウトが必要だ。
 が、そこで問題が起きた。メロスにインストールされている、プリンタドライバのサポートが切れていたのだ。出力しおおせるにはドライバの更新が必要である。しかしそれは当のメロスにしてみても同じこと。先ほどから彼は少し止まっては動き、また止まっては動きを繰り返していた。自慢の容姿はレンダリングがままならず、深刻なモアレにむしばまれている。メロスは今や停止寸前なのだった。

 “ メロスは悔しさに打ち震えた。あの一本の見事な柱にこだわりすぎてさえいなければ。そもそも更新を先延ばししていなければ。おお、ヘリヌンティウスよ、許してくれ。君に事業の失敗を伝える、その力すら今の私には残されていない。君は停止する瞬間まで私を待ち続けるだろう。私はひどい裏切り者だ。だが言わせてもらえば、これでも急いだつもりだったのだ――濁流のごとく湧き上がる後悔や自己憐憫の念に計算リソースをとられ、ついには動きを止めてしまった。
  その時ふとメロスはチャットの着信に気が付いた。メロスはのろのろと目を通した。てっきりヘリヌンティウスからの仕事の催促かと思ったが、見知らぬ人物からだった。
 「お城はいつ見られるんだい? プリントアウトするんだろ?」
 クラウドに置いていた城のバックアップを、誰か第三者が閲覧しているらしいのである。メロスはもっともだと思った。私はこれを出力するつもりでいたのだ。そしてまだその仕事を終えていない。動け! メロス。日は暮れかかっているが、落ち切るまではまだ時間がある。
 メロスはおもむろに両手の指を己の額に突き立てた。これは賭けだ。残された時間を使い、己で己に改修を加える。メモリを食う余分な機能は捨て去って、作業に使う分だけを残す。激しい負荷の加わったメロスの体はポリゴンが毎秒五千枚から急速に剥げ落ちて行き、色褪せた瞳からは水晶のごときグリッチが溢れた。
 彼の動作は依然として頻繁に途切れている。が、その演算速度は以前とは比較にならないほど速い。メロスはクロックアップしていた。今や彼のモデルは鼻から上を残すのみとなり、後の身体はボーンと当たり判定を残して霧散している。そのメロスがカッと目を見開くと、眼前で宙に浮いていた城のモデルが巨大化して延べ床面積が実測値三千九百二十七.二百七十三m^2になった。これは城の実物大と等しい。
「いける」
 メロスはそう確信した。目前に展開された巨大なモデルの隅々にまで、彼は意識を行き渡らせることできた。外界では時がゆっくりと流れている。陽は地平線に差し掛かっていたが、一向に落ちようとする気配がない。四方十里に渡る空間の掌握、当初三日という期限のあった時間の掌握。今の彼はその両方を達成していた。この世に久しく見られなかった暴君の姿がそこにはあった。
 メロスは両腕を力いっぱい前に突き出した。始めに起きたのは地響きだった。それからもうもうたる土煙を上げて、荒野のただ中から岩石を素材とする堅牢な城郭が、雲を突くような高い屋根が、白亜の大階段がせり上がった。 城が建ったのだ。最後に力を使い果たしたメロスの元に残った僅かなポリゴンが、千々に砕けて霧散していった。
 こうしてメロスの肉体は滅んだ。
 だが彼は感じていた。城を見た周囲の仮想生命から自分に寄せられる無数の「いいね」を。アニメーションを伴った何千、何万という「いいね」が、彼の視界を光と色の乱舞で染め上げた。その中にメロスは確かに、へリヌンティウスからの「いいね」を認めた。この城はヘリヌンティウスからも見えているのに違いなかった。
 メロスは自分を信じて待ち続けた親友に、万感の思いを込めて「いいね」を送り返した。そして約束を果たした満足感を胸に、地表を照らす西日の中に還元されて行った。次の冒険へ向けて、勇者は束の間の眠りについたのだった。”

 高田は朗読を終えた。ヘリヌンティウスがメロスに疑いを抱いたり、ディオニスが改心したりといった下りは単純化のために容赦なく削った。ここまで改作するのは一苦労だったが、さてその成果はどうか。
 生徒たちは話を聞くのに飽きていた。姿を変えるやら面白半分に机を焦がしてみるやら、感銘を受けているようにはとても見えない。と、そこへ高田のタブレットの通知が鳴った。見ると「いいね」が二件届いていた。

 部屋を出た高田は疲れ切った顔をしていた。通路には他に何人もの職員が行き交っているが、仮想生命に情操教育を試みているのは高田だけだ。
  伊達や酔狂が動機ではない。今は研究所職員のみを人口に擁するシルレルだが、いずれは宇宙に向けて開かれる時が来る。言わば仮想生命の巣立ちの時だ。その結果が人類とその落とし子の双方にとっての不幸とならないよう、高田は仮想生命に教育を施している。
 歩くうちに高田は床や天井が建材で舗装されている区画を抜け、代わりに灰白色の岩肌が剥き出しとなっている回廊へ出た。そこには首から上がヘリコプターになっているアバターがいて、立ち並ぶ見事な装飾をほどこされた柱の合間から暮れかかる夕陽を見ていた。彼はヘリヌンティウスだ。
「隣いいですか」
 高田が聞くと、ヘリヌンティウスは彼の方をちらりと見てうなずいた。高田はヘリヌンティウスのかたわらで外の景色を眺めた。見渡す限り続く、灰白色の何もない荒野だった。二人のいる高い城以外にシルレルに建造物はない。一部の頑迷な研究者たちを残して入植者たちは皆姿を消した。彼らはこの星の現実に堪えかねたのかもしれなかった。
 そのうちに高田の隣でヘリヌンティウスが「ブーン、ブーン」という低い唸りを放ち始めた。見るとヘリヌンティウスがゆっくりと頭頂部のプロペラを回していた。
 彼は高田が教育を施している若い仮想生命とは違う。情緒が安定しており、人間とのコミュニケーション能力も高い。それでも時折こうして沈みゆく黄金色の日を見て物思いにふけることがあるのは、あんなにも尊い約束を果たして以来、いまだ目覚めることのない友人に思いを馳せているのかもしれなかった。
 だがヘリヌンティウスは決して悲しげな様子を見せない。モデルがローポリだからだ。二千ポリゴンしかない。仮想生命がこれでは複雑な感情表現は無理だ。だからプロペラを回すことで周囲に沈痛な低周波を響かせている。
 高田はヘリヌンティウスの声なき嘆きを聞くともなく聞いていたが、ふと気が付くとそこには彼ひとりになっていた。日没を迎えて惑星上の仮想生命が皆シャットダウンしたのだった。
 残された高田はひとり夜の荒野を眺める。今は彼も人を待つ身だ。いつかまた入植者たちがこの地に戻ってくる。努力が実を結ぶのはその時だ。だが本当にそんな日が来るのだろうか。高田は胸に澱のように溜まっていく疑いの念を、どうしても拭えずにいた。

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