たっくんにムカついた話

ボクシングやってたころの思い出話です。
僕はこないだ話した子のことは好きでした。少なくともボクシングを通じて、社会性を身につけたり、体を鍛えたりという成長が見えました。何より、一生懸命でしたからね。教え子といったら大袈裟ですけど、そのようなものでした。選手層はプロボクサーが教えてたので、僕は初心者層を教えていて、彼に基本を教えたのは自分だという自負と愛着がありました。
たぶん誰でも少なからずそうだと思いますが、僕は同じ競技に取り組む人には好感を持ちます。特にボクシングなんて、キツイし痛いし、平和な日本でこんなのやる人なんてどこか似通ってますから。

でも、今日話すたっくんにはムカついた。
ボクシング人生で唯一、たっくんだけは「こいつ殴りたい」って思った。

出稽古へ

どんなスポーツもそうですが、同じ人と練習してても実力は伸び悩みます。実力がある日突然ひっくり返ることはないので同じ結果になりがちですし、お互い手の内がわかっているので手癖が出やすくなります。特に実力差があるときなんかは悲惨で、弱い方は負け続けるので楽しくないです。対戦型ゲームをやる人はよくわかるんじゃないでしょうか。ボクシングはゲームと違って現実に自分の顔やお腹が痛いので、より辛いです。

そんなとき有効なのは、別団体との合同練習です。いろんなレベルの人と、いつもとは違う試合運びになるので、新たな発見を得やすい。僕がお世話になっていた団体も、たまに他のジムに出掛けてスパーリングさせてもらったりしました。

隣駅のアマチュアボクシングジムと合同練習させていただいたときのことです。何度か通っているジムでしたので、僕の実力もトレーナーの方がご存じで、練習がてらお手伝いさせていただいていました。
そこで出会ったのが、たっくんです。中学生くらいのひょろっとした子でした。

たっくんとマスやってください

一通りの練習メニューをこなしたあと、僕はトレーナーから、たっくんのマススパーリング(寸止めでの実践練習)の相手をしてほしいと言われました。初心者相手の対人トレーニングは、ある程度慣れた人でないと危ないので、僕が指名されたのかなと思いました。その時は。
「初心者ですか?」
「はい、まだまだなので、あまり本気出さないであげてください。危なくはないです」

ブザーが鳴り、グローブを合わせます。
僕はとりあえずガードを上げ、踏み込めばジャブが届くくらいの距離で体を揺らしていました。たっくんがニヤニヤしながら言いました。
「くぅぅ〜オーラあるぅ〜〜(甲高い声)」
嫌な予感がしました。
経験上、スパーで無駄口叩く奴に、ろくな奴はいません。喋っている間に口に被弾すれば歯で唇を切ります。まるで緊張感が無い証拠です。相当実力差があって相手をナメてるか、不真面目かのどっちかです。たっくんは言うまでもなく後者でした。

全然手を出してくるどころか足動かす気配もないので、とりあえず僕の方から、届かない距離でジャブを空振りました。「こっちのリーチはここまで伸びるよ」と距離を教えてあげる意味があります。マスなので当てることはありませんが、そのパンチに反応して防御を取れるか、距離が掴めているか、が練習のポイントになります。たっくんはまるで防御を取れずに「おぉ〜、こ、こわいぃ〜〜w」と言いながらニヤニヤし続けていました。
「ガードの上からなら触れていいですよ」というトレーナーの声を受け、僕は少しだけ距離を伸ばしてたっくんの右ガードに触りました。
「くぉ〜速いぃ〜(甲高い声)」
繰り返しますが、触っただけです。手を出してこない初心者相手に踏み込んだジャブを打つ訳がありません。たっくんは足の運びがめちゃくちゃなので、確かに初心者であり、危険は無いとわかりました。

まぁそれだと、たっくんの練習にならないので、少しガードを下げて、ぼっ立ちでもたっくんの手がとどくであろう位置まで近づきました。まずはジャブを打ってみましょう、なんて声をかけながら。
「シッw シッw」
何が面白いのか知りませんが、ニヤニヤしながらわざとらしくシッシ言いつつ、ふにゃふにゃしたジャブを打ってきました。丸見えなのでパーリングでパンチを落とします。初心者だから力量不足なのはわかるけど、その緊張感の無さはなんなんだ、と次第にイライラが募ってきます。
「たっくんがんばれぇ〜」リングの外から、たっくんのお母さんらしき人が声援を送ります。親が見てんのかよ。
「清瀬さん練習にならないっすよ、もう少し手出していいです」トレーナーから指示が飛びました。見てるだけならなんとでも言えら、こんなやりづらい相手いないぞ。
もちろん当てるわけにはいかないので、狙いはグローブです。一応打ち返しをイメージして、たっくんの右サイドに足を運びながら、グローブをはたきました。
「ふっふw  変則的すぎて対応できない〜w(甲高い声)」
何が変則的なもんか、相手を中心に円を描く、超基本的な足運びです。変則的というのはこういうのだろ、と思いながら、ジャブを空中で止めて右ストレートを振るなどの変化を見せました。
「ふわぁ〜、な、なんだそれは〜〜〜っ(実況風)」
「たっくんピーンチw」母親も楽しそうに声を送ります。
な、殴りたい。

もう当ててやろうかと思いましたが、理性で止めました。痛い思いや怖い思いをした会員が辞めてしまったら、ジムにとって経済的損失です。たっくんみたいな人でも接待しなくてはなりません。ぶっちゃけ「ボクシングやってる風」で満足して月会費払ってくれるなら、それ以上の上客はいないのです。お邪魔させてもらってる手前、僕が暴走するわけにもいきません。

一体なんの時間だったのか

マスのあと、トレーナーに聞きました。
「あの子は、なんなんですか?」
「変な子です。もう好きにさせとこうと思って」
はぁ、なるほど。それを、僕に相手さすなよ。

なぜかたっくんに気に入られたようで、「ふだんどこで練習してるんですか〜?」「さっきの変則的なパンチどうやったんですか〜?」とかやたら話しかけられました。
「あぁ、あれはただのフェイントです。ジャブをいつもと同じ軌道で打って振り切らずに右に代えただけです。こうやって」
「へぇ〜〜〜」
「こう」
「な、なるほど〜〜〜」
「右を振ろうとして、ジャブがいつもと違うフォームになると効果がありません。だから、こう」
「ふぉぉ〜〜〜っww」
ひどく納得してましたが、パンチ振ってるのは僕だけで、たっくんは嬉しそうに眺めていました。いや、やれよ。試せよすぐに。
「もう一回スパーやります〜?ふふふw」
「(お互いに得るものがないので)今日はやめておきましょうね」

自分の所属してた団体は、ムカついたらスパーやって納得すればいいみたいなとこありました。ちゃんと16オンスはめて、ヘッドギアして、ダウンしたらそこで終わりってすれば大怪我はしませんし。「相手の方が強いししゃあない」「生意気言われたけど殴ってスッキリした」みたいな納得感がありました。わかり合いではなく、わからせ合いですね。
なので、殴っちゃいけない接待ボクシングは、それまで体験したことのない未知のフラストレーションを感じました。職業トレーナーは年中ああいう気持ちなのかなぁと感じた思い出です。

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