『孤独感』との向き合い方

重度アルコール依存症のkiyopiです。

アルコール依存症者にも抱えて苦しんでいる人の多い『孤独感』ですが、傍から見れば孤独でも何でもない状況(友人や親友がいる、恋人がいる、結婚している・子供もいる、家族との仲が良好など)でも孤独感を抱え苦しんでいる人もいます。

『孤独感』というのは、本当に孤立しているとか孤独だから感じるモノではありません。

なら何故、人は孤独感を感じるようになるのでしょうか?



『孤独感』は満たされない対人関係により感じる

人というのは、親・家族であれ、友人・親友であれ、恋人であれ、結婚相手であれ、自分の子供であれ、学校の同級生、会社の同僚であれ、自分と接点のある人であれば誰に対してでも「こういった関係でありたい、相手にこうあってほしい」といった何かしらの願望があります。
その願望が満たされる関係が薄くなってきたり、希薄であったり、無い関係にいる事で『孤独感』を感じるようになります。

『孤独感』で苦しんでいる人は、大抵の人が「友達が欲しい、恋人がほしい」などを言いますが、関係が出来た時のような新鮮な感情や関係も時が経つにつれて必ず薄くなります(マンネリ化)。

『孤独感』の強い人であればある程、相手に対して望む思いが強くなりますし、関係を築く相手を選ぶこともしなくなって、例え本来なら築かないような一緒にいて苦しい相手、辛い相手、怒れる相手であっても我慢して付き合いを続けてしまったりします(歪んだ所属感、しがみつき行動)。
そういった相手がいる事への妄想や理想化も激しかったりして、いさえすれば苦しみ病んでいる自分はすぐに良くなると勘違いしていたりもします。

それによって、余計に苦しみ病んでいくスパイラルに嵌まってしまうのです。


『孤独感』を乗り越えるにはどうしたらいいの?

孤独感を乗り越えるためには、自分を知る事です。
それぞれの相手・関係に対して自分はどんな対人関係願望を持っているのか?
それを自分で自分の心の内を掘り起こして知る事です。

孤独感を感じる満たされない願望というのは人それぞれですので、一例を挙げてみます。

「話し相手が欲しいのにいなくて孤独感を感じる」
ただこれだけの理由であっても、『私の話を聞いてほしい』のか、『相手に話をしてほしい』のか『楽しく会話の出来る相手がほしい』のか、それだけでも全く違いますし、『私の話を聞いてほしい』でも、『否定や批判はしないでほしい』『アドバイスや助言はしないでほしい』『ただ話を聞いて肯定してほしい』でも違いがあります。

「友人・親友が欲しい」であっても、『私を楽しませてくれる引っ張っていってくれる相手が欲しい』のか、『私が楽しいと思うことを一緒に楽しんでくれる相手が欲しい』のか、『私を肯定して受け入れてくれる相手が欲しい』のか、でも全く違います。

「恋人がほしい」であっても、『ただ一緒にいる異性の相手がほしい』のか、『一緒にいて楽しい異性の相手がほしい』のか、『一緒にいて安心できる異性の相手がほしい』のか、『とにかく私を肯定して受け入れてくれる異性の相手が欲しい」のか、『ただ性欲を満たせる相手が欲しい』のか、でも全く違います。

結婚相手や子供、同級生、同僚であっても同じで、相手に何を・どんな関係を求めているのか?で全く違う訳です。

願望や、それを向ける相手によっては、自分の一方的な欲望であって相手を一切考慮しない願望もあるでしょう。
それでも、自分の対人願望をより深く、より細かく知らない限り、相手を怒らせたり傷付けてしまい離れていかれる孤独や喪失感の繰り返しからは逃れられませんし、相手を選ぶこともせずにしがみついて苦しむことからも逃れられません。
自分から見て良好な関係に見える相手に嫉妬して、苦しむ事からも逃れる事も出来ません。



自分を知れば知るほど楽になる

自分を知れば知る程、自分の望む相手が周りにいない事や、自分の願望が一方的なワガママである事に気付いたり、相手によっては気に食わないと思われる事であったり、嫌だと思われたり、怒りを感じさせる事であったりする事に気付けるようになります。

それによって、関係に妥協点を見出したり、諦めが付いたり、今の自分の周りには自分の望む相手がいない事に気付いたりと、孤独感を感じにくくなっていったり、実際に孤独な状況であっても孤独感を感じなくなるようになっていきます。
その結果、楽になっていくのです。


僕自身はどうだったか?

僕自身、子供の頃から『孤独感』や『疎外感』は常に抱えていたので、さんざん苦しんできました。

本当は嫌な付き合いや、心を病んでしまうような関係でも、見捨てられ不安や悪く言われることを恐れていたこともあり、しがみついて生きてきました。
周りに人がいたり、僕を中心に人が集まる、そんな傍から見れば決して孤独には見えない状況・環境、それでも僕の心は常に『孤独感』や『疎外感』に満たされていました。

では何故、僕自身は『孤独感』や『疎外感』を抱えていたのか?
以下は僕の自己分析の一部です。

「友人が欲しかった」のは、僕の話を否定せずにただ聞いて肯定してくれる相手がほしかっただけ(承認欲求・肯定欲求)。
遊んだり出掛けたり、どうでもよかった。

「恋人がほしかった」のは、友人に求めていた事と同じで、ただ異性であってほしかった(承認欲求・肯定欲求)のと、僕と一緒にいる事で安心感を感じてくれたり笑っていてくれることで安心感を味わいたかった(母性への愛情欲求)、僕の望む形で依存してほしかった。

同級生や仕事の同僚・上司には、依存されたり都合よく扱われたりされたくなくて、仲良くしないで一線引いていたかった。

親・家族は僕に対する欲望・願望・理想・面倒事を押し付けるのではなく、仲良くしたかった、助け合いたかった、自分たちにはとことん協力させても、僕には一切協力も援助もしない、そんな関係を変えたかった。

自分の願望に気付いた時、僕の周りにはそれを満たせる相手がいない事に気付きました。

かつてはそれに叶う相手もいましたが、そういった相手ほど見捨てられ不安に駆られて縁切りしてしまっていて、望まない関係ほど悩んで苦しんで病んでまで、仮面を被って自分を偽り、演技してまで関係を保とうとしていました。

自分を知り、今の僕の周りにいる人達はどうかを見た時、冷静に諦めがついて望まない関係にある人達とは距離を置いたり離れたり、心の境界線をしっかり引きました。

更に気付いた事は、僕は人とつるむのが本当は好きでない事。
群れるのが嫌いで混ざりたくなく、一歩引いていたい事。
一人時間が好きで、その方が落ち着く。
ということです。

現在でも、同級生、元同僚、知り合いと呼べる相手はいても、友人は一人もいません。
恋人なし、結婚相手もいなければ結婚経験もなし、ましてや子供もいません。

それでも本当の自分に気付き、『今の自分の周り・知り合いには自分の求める相手はいない』事にも気付いて諦めがついた事で、『孤独感』を感じる事はもうなくなりました。

今後満たせる相手が出てきた時には、その関係を大事にしようと思います。
これが、『孤独感』の苦しみから抜け出した事で辿り着いた僕の今の心境です。



今回は以上です。
参考にして頂けたら幸いです。

あなたの断酒が楽になりますように。
ご家族様の消えない苦しみが少しでも軽くなりますように。

最後まで読んで頂き有難うございました。


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