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『若者に歩み寄れる"左右思考"』


どうも、18歳のコミヤジです。(笑)

今回の内容は『若者に歩み寄れる"左右思考"』です!!✨

度々「大人って全然子供に歩み寄ってくれてないな〜」と感じていたのに加えて、僕自身も「自分より若い子にしっかり歩み寄れていないなぁ…」と感じる機会があったので、自戒の念も込めて今回はnoteを書かせて頂きました。

※大人の方々が子供のために沢山努力して下さっていることは重々認知しているつもりです🙇
※「価値観を更新する気」を感じない的な感じです!!🙇

#とにかく言い訳をしておくスタイル


今回もボリューミーなので、良ければ最後まで見てください〜!!✨🥺



「生きてるだけで偉い」が頻出する若者


以前『若者の自己肯定感が低い理由』というnoteを書かせて頂きました。


ざっくりと内容をまとめると『若者は"SNS"によって友達+全世界と24時間外見とユーモアを比較され続けている』から、若者は『何かしていても、何もしていなくても劣等感を感じてしまう』ため、自己肯定感が低いのではないか?という内容です。

若者のリアルエピソードとして、Z世代より上の世代の方はあまりピンと来ないかもしれませんが、僕達はよく自分や他人を励ます時に『生きてるだけで偉い』という言葉を使います。


友達がミスって弁当を床に落としてしまった時は『生きてるだけで偉い』と声を掛けます。

友達の推しに熱愛が出てしまった時も『生きてるだけで偉い』と声を掛けます。

友達の好きぴがTwitterでイケメンや美人にいいねをしていた時も『生きてるだけで偉い』と声を掛けます。


どちらかと言うと「生きてるだけで偉い」というよりは『そんなにツラいことがあったのに死なないで偉い』って感じですね。(笑)

大人のからすると「ちょっと大袈裟じゃない…?(笑)」と思うかもしれません。

でも、毎日負け続けて、なかなか褒められなくて、その上「死んだように生きている大人」を毎日見て「現実が残酷であること」をなんとなく感じている若者からすると「日常の小さな悲劇」はもはや『"追い討ち"のようなモノ』で『生きてるだけで偉い』という励ましの言葉は綺麗事でもなんでもなくて『"ただの本心"』です。

僕は結構リアルに『若者は毎日頑張って生きていて偉いなぁ〜』と思ってます。
(※大人の皆さんもとっても頑張ってると思ってますもちろん)


しかし現実は残酷なので、タイムラインにはスゴい人が毎日わんさか出てきます。

これによって若者には『他人に褒められるラインのインフレ』みたいなものが起こっていて、極論『めっちゃスゴいことをしないと褒められない』みたいなのはなんとなく感じてたりします。



自分のありのままの全てを認めて欲しい


あくまで僕の場合ですが、毎日負け続けながらも、なかなか褒められない中、残酷な現実をそこそこ頑張って生きているつもりなので、甘えとは分かっていながらも、何か自分で行動や発言をする度に『自分のありのままの全てを認めて欲しい』と本気で思ってたりします。
(これはぶっちゃけほとんどの若者は共感してくれるのではないかな〜※違ったらツラい笑)


なので、ほぼ必然的に『自分の考えは否定されたくない』+『相手の考えを否定しようと思わない』という考え方が生まれてたりします。


『相手の考えを否定しようと思わない』というのは一種の『Z世代の仲間意識』のようなものだと思います。

SNSによって起こった悲劇を最初に体感しているのが僕達Z世代です。

そして、本来人生を生きていく上で頼りになる"上の世代"はSNSによって起こった悲劇の解決策を知りません。

だから自分達で正解を見つけるしか無かったんです。

なので、僕達は同世代に『大人を頼れない(頼りにならない)中で悲劇を共に乗り越えてきた仲間』のような感覚を少なからず持っているのではないかな〜と勝手に思ってたりします。



「良いか悪いか?」ではなく『右か左か?』


ここから先は僕の考えなのですが『「自分の考えを否定されたくない」+「相手の考えを否定しようと思わない」という考え方』とより向き合った結果、出来事や考え方を『上か下か?』(良いか悪いか)ではなく『右か左か?』で捉えるようになりました。


今まで僕は、自分自身や他人を否定する時に『その判断や考え方が"良いか悪いか?"』を軸にしていました。

「良いか悪いか?」というのは「倫理的や世間的に問題がないか?」をベースにした『自分にメリットがあるか?』という判断基準で、ひと言に「自分にメリットがあれば良い」的な考え方でした。


しかし、この考え方をしていて間もなく気づきます。

「自分にメリットがない判断や考え方をしている人」を『いつか否定し続ける時が来る』と。

それを実感したのが『大学進学のタイミング』でした。


僕は夢を追いかけるため大学には進学するつもりは毛頭なかった(実際に進学してません)のですが、周りの同級生は皆当たり前のように大学進学を考えていました。

そんな中、同級生と『大学進学はするべきか?』みたいな話をする機会がありました。

当然僕は「大学進学はするべきか?」の問いには否定するしかありません。

夢を追って世間体を捨てる自分を肯定できなくなってしまいますし…
何より普通に大学に通って同い年くらいの女の子と毎日イチャイチャできることが、羨ましくて羨ましくてそれはもう悔しくて仕方ありませんでした。( ´ཫ` )

僕には「大学進学を否定することで"過去と現在の自分を肯定できる"」というメリットがあったわけです。


でも、この時思ったんですね。

この場で僕がもっともらしいことを言って『大学進学を否定しまうこと』で、自分を肯定することは容易いけれど、同時に彼らを少なからず傷つけてしまう、と。

僕の反対にいる彼らが「大学進学を肯定する理由」には「夢を捨てて世間体や当たり前を取りにいった過去と現在の自分を肯定できる」とかがあるからです。


でも、これって正直、別にどっちが正解とかないじゃないですか?

なのに、僕が僕を肯定するために、多分毎日残酷な現実を頑張って生きている彼らを否定してしまうことは『"追い討ち"でしかないなぁ…』と。

何より、同じ煮え湯を飲んでいる同志として『仲間を潰すみたいでなんか嫌だな…』と思いました。


そんな自分を肯定するために、模索しながら辿り着いた答えが『出来事や考え方を「上か下か?」(良いか悪いか)ではなく「右か左か?」で捉える考え方』です。


これはつまり『そういう考え方もあるよね〜』です。
#シンプル


「右か左か?」と表現しているのは「上か下か?」と表現すると『どちらが良いか?』を考えた時に、多数が「上」と無意識に結論してしまうからです。

そりゃ「下」よりは「上」の方がなんとなく良いですよね。

でも本来「上」にも「下」にもメリットとデメリットは必ずあって、どちらの意見も尊重させるべきで、否定されて良いものではないはずなのに『なんとなく大多数にメリットがある』という理由だけで「上」に軍配が上がっているような気がするんです。


でも『右か左か?』なら『どちらが良いか?』に明確な答えがないので、適度に両者が尊重され、どちらも否定されないと思うんです。

主観的に見ても客観的に見ても『明らかに違うでしょ…』と思う他者の意見も、その人にとっては自分を肯定するための大切な手段だったりします。

なので、大学進学トークの1件以降、僕は『「上か下か?」(良いか悪いか)ではなく「右か左か?」』で物事や考え方を捉える(ここで「左右思考」と名付けました)ようになりました。



小中学生とジェネレーションギャップを感じる18歳


しかし、いざ『左右思考』になってみるとしっくり来ると言いますか…(笑)

平成と違って「令和」はSNSによってコンテンツ量が加速したことで、そもそも『好みと価値観が細分化された時代』なので「自分にとっての上(良い事)」が「他人にとっては上(良い事)じゃない」なんてことは結構"日常"だったりします。

今になって冷静に考えてみると、細分化され過ぎたことによって好みや価値観が合いにくいのが前提の現代では、「上か下か?」の考え方は「自分の良い悪いが相手と共通していると"勘違いしていること」になるので、他人からするとシンプルに『ダサいしウザい』と思います。


僕も今、目の前に「上下思考の人」が現れたら普通に「ダサいしウザイなぁ〜」と思います。(笑)

「なんであなたと僕の"良い"が共通してると思ってるんだ…(笑)」と。

なので、過去の自分もきっと、当時は他者からしたら「ダサくてウザい奴」だったのだと思います…(笑)


でも、僕が思うに『過去の"上下思考だった自分"が実は「ダサくてウザい奴だった」』と自覚することがとても大切な気がしていて。

きっと「僕より下の世代」はもっとこの辺に敏感なんです。


現在18歳の僕でさえ、中学生や小学生と話していると『価値観の違い』を多々感じます。

彼らからすると僕は『"多少話の合わない人"のジャンルに入ってるかもしれないなぁ〜』と思う瞬間も沢山あるので…(笑)

せめて「自分が古い価値観や考え方の持ち主であること・であったこと」を自覚することが、彼らに歩み寄れる第1歩なのかな、と思っていたりします。


まぁつまり何が言いたいかと言いますと『18歳の僕でさえ若い子とはジェネレーションギャップや価値観の違いを敏感に感じているので、大人の皆さんはもっと頑張ってください…(笑)』ということです。(笑)

#最後に耳の痛いことを言うスタイル


最後に急に突き放すようなことを言ってしまいましたが、僕自身、SNS時代に大人を頼れなかった中高生時代の自分を肯定するために、意地になってる部分もあるのだと思います。

いや、ほとんど意地です。(笑)

でも、貧乏くじを引いた世代にできることは、下の世代に同じ悲劇を味合わせないことだと思うので。

僕にもまだ正解は分かりませんが、少しでも小中学生が頼れる存在になれたら良いな〜と思います!



終わりに


さて、長々と書かせて頂きましたが、これもあくまで『右の考え方』です。

もし同じように「右の考え方」の方がいれば一緒に生きたいと思いますし「左の考え方」の方がいれば、干渉しないで欲しいのが本音です。

どっちが良いとか無いので。(笑)

右は右で仲良くやるので、左は左で仲良くやってください。(笑)


さて、こんな感じで今回は以上になります!

最後まで読んでくださってありがとうございました!!✨(*´˘`*)

次回のテーマは『脳と手と足を動かすことだけが努力ではない』です!!
(※更新頻度を見直しまして次回から「10日・20日・月末」に更新していきます!)

それではまた次回の記事で!(ι´Д`)ノ


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