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若者の自己肯定感が低い理由


ひょんなことからnoteを始めることになりました、コミヤジです。(笑)

理由はまぁ色々ありますが、色々ありますって感じです。(´д`)


1発目の内容は『若者の自己肯定感はなぜ低いのか?』です。

サロンの中で年上の大人の方とお話すると「若者の価値観・考え方」を聞かれることがそこそこ多くて、何度も話しているうちに『若者って全体的に自己肯定感低いなぁ〜』と思ったんです。

なので、今回は自分のアウトプットも兼ねてその理由をピチピチの18歳の目線から書いてみたいと思います。(笑)


意外と知られていないであろう「18歳の前提」


まず、意外と知られていないというか、恐らく大人の方は想像・体感できていないだろうなぁ〜と思う「今の18歳の前提(当たり前)」を少しだけ書かせて頂きます〜

まず、僕達は『小学1年生の時から世界にスマホが存在しました』

記憶の割合でいうと「ガラケー<スマホ」って感じです。

(日本で初めてiPhone3Gが発売されたのが2008年らしく、僕が当時6歳の時っぽいです。)

そしてまだ自分のケータイ(スマホ)すら持ってない小中学生の頃から学校で「SNSの正しい使い方」とかを謎の講師みたいな人から寒い寒い体育館で2時間とか聞かされてました。


案の定、意味不明すぎて寝てました。


そして僕達は『初めて自分のスマホを手にした時からSNSが存在しました』

僕の場合は人生初スマホは中学1年生の時の「iPhone6」で、既にその時から「YouTube」も「Twitter」もありました。

当時、既に同級生(中学1年)でYouTubeに自分の動画をあげている人とかもいました。


正直この辺の感覚は、大人の方はイマイチ想像できてないと思います。

恐らく自分が生きてきた時間の中で「スマホやSNSが存在した時間」より「スマホやSNSが存在しなかった時間」の方が長いと思うので。

ちなみに今を生きる18歳の僕でさえ、既に自分が生きてきた時間の中で「スマホやSNSが存在した時間=スマホやSNSが存在しなかった時間」くらいの感覚です。

なので、僕よりもう少し下の世代は「スマホやSNSが存在した時間」の方が上回っていたりすると思います。

そして結論から申しますと今回のテーマである『若者の自己肯定感が低い理由』のほとんどが『初めてスマホを手にした時からSNSが存在した』ということが理由だと思ってます。

では、なぜスマホを手にした時からSNSが存在したことで若者の自己肯定感が下がっているのかを僕なりの解釈で説明させて頂こうと思いマッスル。ᕙ(  ˙-˙  )ᕗ


若者は自分以上の人間と24時間比較され続けている


結論『若者の自己肯定感が低い理由』は「初めてスマホを手にした時からSNSが存在したこと」によって『自分以上の人間と24時間比較され続けている』ことが理由だと思っています。


どうでしょう…?

『自分以上の人間と24時間比較され続けている』は皆さん、ピンとくるものなのでしょうか…?(笑)

まぁ、順番に説明していきたいと思います。(笑)


まず、先程お話したように僕達は初めてスマホを手にした時からSNSが存在したので「SNSがある生活」は『日常』です。

よく大人は「スマホ依存・SNS依存・ネット依存」なんて言葉を使いますが、僕達からすると「依存」ではなく『共存』です。


「依存」のように「頑張れば切り離せるもの」みたいな感覚で捉えていません。

当然の如く「共存しているもの」なので『1人1アカウント以上』は"当たり前"です。


さて、そんな若者の誰もが共存している「SNS」の1番ぴえんなところは『フォロワー数やいいね数が"誰でも見れる数字"で明確に出てしまうところ』です。

これによって若者に起きた悲劇をひと言にまとめると『SNSによって今までは曖昧だった「外見とユーモア」が明確な数字として"可視化されたこと"』です。


「外見」と「ユーモア」しか違いが出ない若者


SNSは基本的に「美人」「面白さ(ユーモア)」「有益な情報」のどれかを提供すれば大体数字は出ます。

そしてまぁ、若者の持っている知識なんて調べれば出てくる程度のものしかないので「知識」で差別化は基本できません。

仮にできても、1日ネットで調べれば追いつかれます。


となるとまぁ「若者のSNS」で数字に違いが出るのは『美人(外見)か面白さ(ユーモア)』のほぼ2択です。


決して『人間の魅力』を「何が決めるか?」に明確な答えはありませんが『外見とユーモア』が『人間の魅力を判断する大きな割合を占めていること』には皆さんも大して違和感は無いと思います。


ワンチャン大人の口からは『テストの点数』とかが出てきそうですが、若者からするとあれには微塵の価値も感じてません。

社会でも使えそうな『外見とユーモア』と違い、社会では使えない上に、使う場面も無い「テストの点数」はもはや消化試合です。(笑)

何より僕個人の意見としては「テストの点数」を社会で活躍させている大人を見たことがありません。


少し話が脱線しましたが、まぁ若者としては『人間の魅力を判断する上で恐らく大きな割合を占めているであろう「外見とユーモア」を毎日「フォロワー数やいいね数」で比較されている』といった感覚が近いと思います。

『外見とユーモア』を毎日数字で比較されるのはなかなかキツいですよ〜。


SNSによってライバルは「友達+全世界」に


そして更にキツいのは、これによって極端に言うと『強制的に隣にいる友達でさえ比較対象になったこと』で『友達全員がライバル(敵)になってしまったこと』です。

勿論、現代の若者の中で『一切汚れのない純粋な友情』が存在しないとは思いませんが、どんなに仲の良い心からの友達とでも「数字で比較はされます」。

「アイツの方が数字は上」ということが一応分かってしまう、といった感じですね〜。

まぁこんなことが毎日繰り返されていると心の奥底では自然とライバルチックになってたりもするわけです。


そしてまた更にタチが悪いのが『比較対象は身の回りにいる友達だけでなく"全世界"』ということです。


SNSは数秒で世界にアクセスができる上に、拡散性が高いため、変な話『同い年で結果を出したヤツや偉業を成し遂げたヤツ』が毎日のようにタイムラインにわんさか出てきます。

自分と同い年なのに社長の子がいたり、自分より年下の子なのにオリンピックで優勝してる子がいたりするわけです。

そして『結果の出てないヤツ・頑張ってないヤツ』はSNSでは情報として上がってこない(埋もれている)ので、「ほぼ存在しないもの」です。

そんな感じなので状況を分かりやすく例えてみると、1つの棚の中に『自分』と『身の回りの友達』と『世間で結果を出したヤツ』だけしか居ない状態で「結果を出してないヤツ」は同じ棚には存在しないものになってるって感じです。


こうなると『高確率で自分は負けます』。(笑)


悲しきかな、普通に暮らしているだけでもちょっとSNSを頑張ってる友達やちょっと見た目が良い友達やちょっと面白い友達と『明確に数字で差が出てしまう』んです。

一昔前(SNSが存在する前)は『見た目やユーモア』は「誰が誰より面白いか」とか「誰が誰よりカッコイイ・可愛いか」とかは判断ができないもの(人によって結果や意見が変わるもの)だったのが、SNSが出たことで『全世界が数字をつける"唯一無二の基準"』ができてしまったんです。


「絶対的な数字」って感じですね。


なので、若者の毎日をまたまた例えてみると

「毎日学校の校門前で見た目と面白さに点数をつけられて、その点数が校内の掲示板だけじゃなくネットの掲示板に掲載されてる」

みたいな感じです。

しかもこれが土日関係なく、365日毎日続く。


まとめ


とまぁ、こんな感じの経緯があって

毎日毎日朝から晩まで「結果の出てるヤツ」か「身の回りの友達」と比べ続けられることによって

「自分は友達と比べて微妙だなぁ…その上、同い年なのにあんなに活躍してるアイツに比べたら到底自分なんて…」

みたいな意識が自然とできあがってしまって

『何もしていなくても自己肯定感が下がってしまう若者』

が大量に生まれたのではないかな〜?

と現役18歳の僕は思ってます!



てな感じで以上になります!

長々と読んで頂きありがとうございました!m(。。)m


まぁ今回の記事を通して僕が伝えたかったのは

若者は若者なりに毎日全世界と比べられながらもそれなりに頑張っておりますので、大人の方には若者にちょっとでも優しくして貰えたら嬉しいな〜ってことです。(笑)

#シンプル笑


今回の記事は大人の方に理解してもらいたい欲で少し大袈裟に書いてしまったような気もしなくもないですが、大人の方には『若者の自己肯定感が低い理由』を少しでも掴めて頂ければ幸いです!

そして、若者の方にはこの記事を読んで自己肯定感を高めて貰えれば嬉しいです!


それではまた次回の記事で!(ι´Д`)ノ

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