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デミロマンティックの気持ちを代弁する楽曲〜LiSA「HADASHi NO STEP」考察〜 |デミロマンティックの私に見える世界

今日は、デミロマンティックの私の気持ちを代弁してくれるようなドンピシャの楽曲に出会ったので紹介したいと思う。

※デミロマンティック:内面的な絆やつながりを感じた人にのみ稀に惹かれる恋愛指向(自分の場合、時間をかけて相手のことを深く知ってからでないと人を好きになることはありません)

LiSA「HADASHi NO STEP」

作詞はLiSAさんご本人、作曲はUNISON SQUARE GARDENの田淵智也さん、編曲はaikoさんやYUKIさんも手がける島田昌典さんという布陣でとてもポップな楽曲に仕上がっている。一方で歌詞には、芯の通った強い女性像が描かれている。私にはこの楽曲に、「無理に恋愛しないで自分を大切にしよう」「恋愛するのに遅いなんてない」という2つのメッセージが込められているように感じた。

世間はいつも愛だ恋だ それもいいけど
じぶんを ねぇ、ちゃんと 抱きしめていたいよね

デミロマンティックは、「demi = 半分の」という意味の通り、本来的には恋愛をあまり必要とはしていない。だからこそ、人を好きになる頻度も少ない。にもかかわらず、恋愛していない自分に違和感を覚えたり焦りを感じるのは、きっと世の中に恋愛至上主義的な風潮があるからだ。恋愛そのものを否定するわけではないのだけど、恋愛がすべてではなくて、自分を大切にすること、自分が思うように生きてみることだって、恋愛と同じように素晴らしい人生の選択肢なのではないか、というメッセージが歌詞に込められていると思う。

いつか履けなかった ガラスの靴
いまはまだ裸足で踊れそうよ

シンデレラみたいに、運命の王子様みたいな人と結ばれて...なんてことはないけど、裸足で、つまりパートナーがいなくたって楽しいんだと、そういう宣言に聞こえた。しかし2番を聴くと、これからもひとりで生きていくことを誓ったわけではないこともわかる。

淡い夢 甘いトキメキ
大人を理由に遠ざけている
好きになったあとのことなんて “あと”からでいいはずなのに

デミロマンティックの複雑なところは、人を好きになるのにはものすごく時間がかかるけど、人を好きになる可能性はあって、人を好きになる喜びも知っていることである。だからこそ、今後恋愛をする可能性があるのなら、若いうちに行動しなければ出会いを逃してしまうのではないかとか、そういった悩みを抱えることもある。でも、大人になっても恋愛する可能性はいくらでもあるし、その時になってから考えればいいんだと、この歌詞は思わせてくれるのだ。

好きな人がいないときは自分を大事にして、いつか好きな人ができたときに全力でぶつかっていけばいいと、デミロマンティックの生き方を肯定してくれる、新しい“ラブソング“だと思った。


ちなみに、どうしてLiSAさんがこんなに素敵な歌詞を書けるのかが気になって調べてみたところ、興味深いインタビューを発見した。

恋の歌、書けないんだよなあ……っていうところで、最初につまづいて。頑張って、恋愛マンガを読んでみたものの、ちょっと私、恋っていう気持ちあんまりないんだよなあ、引き出しに持っていないんだよなあって。そこで浮かんだのが、自分らしく、きちんと生きている女性。(中略)長年向き合ってきた、恋に対して、恋愛ソングを書くことに対して冷めている感覚みたいなものの理由を、自分で突き止めたらこれだったっていう感じです。(全文:rockinon.com

こういう曲が、もっと増えたらいいのになと思います。歌詞を見ながらぜひ聴いていてください!

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恋愛しない人が浮かない世の中に変える活動をするために使います。エッセイ以外にも小説を書いたり、歌も作っています。