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フェミニストで深夜ラジオリスナーの私が小木さん炎上について考える

小木博明さんのテレビやラジオでの発言が炎上し、Clubhouseでの活動家との討論も話題になった。

フェミニストを自覚しながら、深夜ラジオリスナーを自負している私は正直困惑してしまった。森喜朗氏の一連の言動には強い怒りを感じるけれど、小木さんに対しては怒る気になれなかった。かといって、本件でフェミニストという存在そのものを否定されるのも納得がいかない。

小木さんの発言の何が問題で、フェミニスト側のどんな態度が批判の対象となったのか、改めて整理したいと思う。

※書き起こしの記事、活動家のツイート等のリンクは貼りません。また、なるべく直接的な表現は避けていますので、本記事で補えていない情報は各自調べていただけますと幸いです。

1. 「女性はピラニア」

情報番組『バイキング』にて、森喜朗氏の失言のニュースを取り上げた際の発言。これはアウトだと思っている。おそらく小木さんの意図としては、自分は女性よりも弱い立場で女性には意見できないという自虐ネタで、女性がでしゃばり過ぎているだとか言いたかったわけではないと思うが、社会を変えようと活動している女性たちに水を差す発言だと解釈されても仕方がない。

2. 娘に「可愛くない」と言い聞かせている

おぎやはぎのレギュラー深夜ラジオ『めがねびいき』での発言。1年半くらい前の発言を書き起こした記事が「ピラニア」発言によって蒸し返されてしまった。小木さんの発言に問題があったかどうかを判断する前に、活動家と小木さんの主張を整理する必要がありそうだ。

活動家の主張:娘にブスと言い聞かせることは心理的虐待。かつ、同じような目に遭ったことのある人を傷つけることになる。
小木さんの主張:娘にブスだとも可愛くないとも直接言ったことはない。話したときの文脈や空気感が完全に無視された書き起こし記事を鵜呑みにし、事実とは異なる内容をもとに批判をしないでほしい。実際には娘に対する心理的虐待はないので誤った情報を拡散しないでほしい。

そもそもお互いの論点が食い違っているのだ。その状態のまま議論が展開されるClubhouseは、正直聞くに耐えなかった。

・深夜ラジオの書き起こしの問題点

深夜ラジオリスナーの多くは、ラジオの書き起こし記事を前々から問題視している。活字になることで生じる誤解があるという事実が、活動家に全く伝わらないことにショックを受けた。岡村隆史さんのラジオでの失言を引き合いに出す場面もあったが、その件と小木さんの件を同じ土俵で語るのもナンセンスだと思った。明らかにアウトな発言はラジオで聴こうが書き起こされようがアウトだ。ただ、小木さんが主張したかったのは、書き起こすことで誤解が生じることもあるから信じないでほしい、というシンプルなもの。小木さんは、娘に対して実際にはブスだとか可愛くないという発言はしていないと主張している。

「記事の真偽をみんながみんなラジオを聴いて確かめるはずがないから、信じても仕方ない」と言う方もいたが、だとしたら批判されるべきはメディアであって、小木さんに「(ネットニュースを)信じても仕方ない」と訴えるのはあまりにもお門違いだと思う。ほとんどの場合、ネットニュースの記事を番組側、ましてや演者側が事前にチェックすることはできない。

・子育てと自己肯定感

子供を貶して育てると、自己肯定感が育たずに大人になっても苦労するというのは、私も思い当たる節があるのでよくわかる。だとすれば、周りの人間がすべきことは批判ではなく、子育てのやり方によっては大人になってこんな弊害が生じてしまう、という事実をロジカルに伝えることではないだろうか?Clubhouseでは、残念ながらそこまで説明してくれる人がいなかったように思う。「娘さんがかわいそう」「なんで自分(娘)がかわいいと自覚したらダメなんですか?」という批判だけでは、小木さんも「娘に対して直接的に容姿を貶すような発言はしていない」と反論するしかなく、何が問題視されているのか気づくことができないだろう。

・容姿を貶す笑いの是非

もっとも、時代の変化は急激で、容姿を貶して笑いを取るやり方が古くなっているのは事実だ。それは私も良い変化だと思っている。小木さんが奥様の容姿を冗談で貶している場面は私の記憶にもあるので、それを問題視するのは良いと思うが、1年半前の書き起こしを今批判するのがフェアじゃない。このタイミングにおいて、活動家の方がどの発言の何を批判したいのかが掴めずに終始モヤモヤした。だから、小木さんにただヘイトをぶつけているように感じられてしまった。

3. 娘が自分の二次性徴に無自覚なのが悲しい

これも2.と同じく1年半前のラジオの書き起こしである。この発言を分析すると2つの理由で炎上していることが見えてきた。

①娘の二次性徴が悲しい=ミソジニー

ミソジニーとは女性嫌悪や女性蔑視のことであるが、なぜそうなるのかが理解できなかった。活動家の主張はこうである。

自分が女性の身体をモノとしてみているから、娘が成長してモノに近づいているのが悲しい

全く意味がわからない。私には、「いつまでも手のかかる子供だと思っていたのに、だんだん大人になってしまうのが寂しい」というシンプルな親心が表れた発言に聞こえた。

ちなみに、10歳で一緒にお風呂に入るのは性教育が遅れている、という主張もあったが、であれば批判するのではなく、どうすれば娘に自覚してもらえるのか具体的な方法を教えることの方が大事だと思う。例えば、SHELLYさんの性教育に関するインタビューや動画配信等は素晴らしいと思う。

②娘の身体的な事柄について公の場で話した

この論点で批判をしているのであれば理解はできる。しかし、これは不倫を叩く構造と似ているように思う。

不倫の場合、大事なのはパートナーがどう思うかであって、第三者が口出しをすることではない。同様に、本件は小木さんの家族内で解決すればいいことである。実際、小木さんはラジオで娘の話をした後に奥様に怒られたと語っていた。奥様の指摘で小木さんが反省されたのであればそれが全てだ。今更話を蒸し返す方が、二次被害を招くのではないだろうか?

アウトだったのは「ピラニア」発言だけ

まとめると、私の見解では小木さんの一連の騒動でアウトだったのは「女性はピラニア」発言だけだ。小木さんのジェンダー平等に対する意識の低さはあるかもしれないが、芋づる式に深夜ラジオの書き起こし記事を掘り起こして、小木さんが娘を虐待しているだのと批判するのは間違っている。

一方で、小木さんに対する活動家の批判は間違った部分もあるものの、森喜朗氏の発言に対しては声を上げるべきだし、これまでの活動家の言動を批判したり、活動家の存在自体を否定するのは違う。

私は深夜ラジオの文化も尊重するし、性差別のない世界を創りたい。その2つは、両立できると思っている。

恋愛しない人が浮かない世の中に変える活動をするために使います。エッセイ以外にも小説を書いたり、歌も作っています。