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クラスで私だけが100点のときじゃないと認めてもらえない|アダルトチルドレン克服のための過去日記②

母親はとにかく勉強しろとうるさかった。そのくらいはよくある話だと思うが、どんなに頑張っても認められることはなかった。

定期テストで100点を取っても、「ほかにも100点の人何人もいるんでしょ?」「簡単なテストだったんでしょ?」と言われた。
平均点を下回ることなんて論外で、間違った問題があればなぜ解けなかったのか問い詰められ、「教科書に載ってなかった」「応用問題だった」と説明すればなんとか溜飲が下がったが、ケアレスミスや授業でやった問題だと、「ちゃんと勉強しなかったのか?」「なんでこんな問題が解けないんだ?」と怒られた。
できなかったところは責めらるが、点数が良かったときは何かと理由をつけて褒めてくれることはなかった。
テストが難しかったのに、いつもより点数が低いと責められるので、「頭のいい〇〇ちゃんも同じ点数だった」「△△さんですらこの問題は解けていなかった」と私だけができなかったわけじゃないことをアピールするのに必死だった。
答案が返ってきたときに、点数を書き換えることはしなかったけど、間違い方をケアレスミスじゃなくて怒られないような間違い方に書き換えたことはあった。

小学校のとき、中学受験する人が行く塾に通っていた。でも私はよほどのことがない限り、エスカレーター式で中学に進むことができたので、国語と算数の2教科だけ授業を受けていた。全国模試は、4教科と2教科でわけて順位が発表された。
私の名前がはじめて2教科の順位に載ったとき、「1位になったらゲームを買ってあげる」と母に言われた。目標ができて、勉強を頑張ろうと思った。私はだんだんと順位を上げて、ついに1位を取ることができた。でもその頃には母は、「中学受験する頭いい人は4教科だから、2教科の順位には入らないから大したことない」という考え方に変わっていた。私の努力はなんだったのだろうと思ったし、この人は本当に全国1位にでもならないと、私のことを認めないんだなと思った。
それからは、母親に怒られないことだけを目的に、怯えながら、大学が決まるまでの間、ただ勉強をこなしていくようになった。

恋愛しない人が浮かない世の中に変える活動をするために使います。エッセイ以外にも小説を書いたり、歌も作っています。