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命を支えるものやこと

3.11の地震の瞬間、穏やかな日常は異常に変わった。

暖かな陽ざしが降り注ぐリビングで、私は4歳の幼稚園生の息子とカルタ遊びをしていた。

建物が揺れ出すと、テレビはぷつっと切れた。ゆっくり円をかくようにかつてなく長い揺れが続く。

東京湾に面した19階のベランダにでると、目の前の公園のテニスコートはまっすぐに亀裂が入り、じわじわと水があふれだしている。

近隣の校庭も雨が降った後のように水びだしになっていく。

同時に3か所の火事がみえた。

近所とお台場あたりで煙が上がっている。東では火柱が燃え盛っている。(石油コンビナートが爆発していた)

停電になり水もでない。
携帯も使えない。

とてつもない災害が起きていることだけはわかった。

炊飯器に入っていたご飯をあたたかいうちにおにぎりにし夜に備えた。

免震構造のマンションの部屋の中は何一つ落ちてはいない。異常事態について近所の人と話したい気持ちはあったが、厚い壁に遮ぎられ人の気配は感じられない。

夕方、暗くなりつつあるなか外にでてみると道路には砂が噴出していた。

IKEAは電気がついていて入ることができた。1階のエントランスのテレビを大勢の人が座ってみている。

私たち親子もしばらく居させてもらった。各地で大変な被害があることをほんの少し断片的に知った。

IKEAはありがたいことにお菓子と水も配ってくれた。優しい企業だ。

マンションに戻るとエントランスで友人親子と会うことができてほっとした。自家発電を使い少し灯りがつき人が集っていた。

自宅では夫がろうそくに灯りをともし、ハンドルで発電可能な非常用のラジオを出してくれていた。それまで飾りだったキャンドルが役に立った。おにぎりを食べ、氷で口を湿らせた。

いつまた地震がおこるかわからない不安でパジャマではなく服を着てねた。子どもとベッドで寝られること自体はありがたかった。

残念ながら、震災で命を失った人はおおぜいいる。そしていまも各地で安らぐことができない人々がいる。

水、食料、電気、情報、人のぬくもり、安全な居場所。

11年たった今、当たり前のように恩恵にあずかる生活をしているが、とても貴重だと改めて感じる。

災害、紛争、弾圧、虐待、様々あるが、世界のいずこでも命を脅かさないでほしい。命を支えるものや仕組みはすべての人にいきわたってほしいと切に願う。


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