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松田豊先生 お母さんへ感謝の言葉

お母さん育ててくれてありがとう

お母さんへ

僕を生んで育ててくれてありがとう。

僕を生んで育ててくれたお母さんに感謝の言葉を送りたいと思います。

お母さんありがとう。

思えばお母さんが40歳の時、

お父さんが交通事故で突然亡くなりましたね。

僕も辛かったけど、一番辛かったのはお母さんでしたね。

よくここまで僕たちを育ててくれましたね。

面に向かって言いにくいですが、「本当にありがとうお母さん」といいます。

僕はお父さんが亡くなったときと、

時を同じにしてある精神的な障害を抱えることになりました。

あまり言ってなかったね。

20の頃一度、僕は精神病院に入院したね。

心配ばかりかけてごめん。

実は、対人恐怖症という障害に今日まで苛まれてきました。

誰にも言えないし、辛い毎日でした。

毎日職場に行っても、その障害が付きまとっていました。

毎日がノイローゼのような状態が何年も、何十年も続きました。

なんとなく、僕の様子がおかしいなとおもったことあったかもしれないね。

僕の20代のころは未来に、まったく希望がなかったのです。

孤独で辛くて、頭が変になりそうな毎日だったのです。

そんな気持ちを、今日初めて言いました。

もう、それは忘れてくれていいですよ。

安心してください。

今は、それを乗り越えてとても幸せな僕がいます。

お母さんがいたからここまで生きてこれたのです。

本当です。

「お母さんありがとう」

僕の一生で、一番尊敬するひとは「お母さん」です。

老後はあまり無理をしないで。

気楽に楽しいことをやって日々過ごしてくださいね。

安心してください。

僕がしっかり、面倒みるからね。

今まで育ててくれた恩へ、少しでも恩返しをさせてね。

ありがとう。お母さん。

これからも健康で丈夫で長生きしてください。

少しでも体調悪い時はすぐに言ってね。

病院へ一緒に行って、すぐに診てもらいます。

やっぱりお医者さんを頼りにしなくちゃね。

ありがとうお母さん

僕を育ててくれてありがとうお母さん。



昭和の時代に生まれた僕。

世間はみんな貧乏だった筈。

貧乏の中でも、特にわが家は貧乏だったと思います。

子どもが4人は普通だった昭和の始まり

兄弟4人で、上から3番目だった僕。

親戚とか、偶にお菓子をくれるひとがいました。

すると、いつもお菓子の取り合いが始まります。

兄弟の上から3番目だった自分には、当然の如くに

分け前少しでした。

一番下の弟は、何故か僕よりいつも多かったと思う。

それを、いつも不満に思っていた僕です。

突然、当てられ損の交通事故でお父さんが

お父さんは、正月始まったばかりの会社の帰りに

当てられ損、交通事故に遭いました。

三日後、意識も戻らずに帰らぬ人となりました。

泣き崩れるお母さん。

半狂乱だったお母さん。

相当辛かったです僕も。

突然の不幸で我が家はどん底

神様は、いないのか。

神様なんていないよね。

仏壇の前で、お母さんと兄弟は

毎晩泣きました。

お寺の坊さんが、教えてくれた

お経を繰り返し、拝むのが夕方の日常でした。


救い主

松田豊先生

尊い教えを今日も有難うございます。





のんびりきよしの記事を読んで下さり、有難うございます。 サポートとっても嬉しいです。 「お金は感謝と信用のエネルギー」 温かい真心は、違う形で必ずお返しします。