連載 「こけしの恩返し」06 パン屋のバイト編


大学時代から暮らしていたアパートを、周りのみんなが卒業してから1年後、私もようやく去ることになった。社会人として踏み出したからには区切りとしてこの場所を去らなければ、と思っていたし、それにもう少し都心に出ないといけないような気がしていた。

風ぐるまのみんなに手伝ってもらって引っ越しをしたその街は、私が感じた「都心に近いけどぎりぎり住めるライン」の街だった。

私の「ギリギリ住めるライン」とは、「畑があるかどうか」。

畑があるところには住めるけれど、畑がないところには多分私住めないな、というよく分からないけど確かな感覚があって、その観点から選んだこの街に、そしてこのアパートに、私はそれから14年も住み続けることになる。


引っ越したことで、家賃が1万4000円値上がりした。

さすが都心に近づいたことだけある。東京の家賃は、なんにしろ高い。

ギャラリー喫茶のアルバイトだけでは生活が厳しい。

そこで、私は掛け持ちでアルバイトをすることにした。

ギャラリー喫茶は確か週3.4日の勤務だったので、時間はたくさんあった。

新しく住み始めた街の商店街を歩きながら、アルバイトを探した。

そして私は見つけた。

懐かしさ漂うパン屋の店先に貼り出された「早朝バイト募集」の紙を。

そこのパン屋は、一度だけ入ったことがあった。夕方の割引タイムで、三角形のパンを買った。だいぶ年期の入ったそのパン屋のパンは、あまりこだわりとかを感じない普通のパンだったけれど、なんとなく懐かしさを感じた。私はそのパン屋で、早朝バイトをすることにした。

朝6時から9時半までそのパン屋で働き、終わったらそこから電車に乗ってギャラリーへ行く、という生活が始まった。

正直、きつかった。

まず、早起きがつらい。

6時からなので、確か5時10分くらいに起床していたと思う。そこから猛スピードで支度をして、朝ご飯を食べて、お弁当なんかも作ってたような気がするなあ。。ギャラリーの周りにはコンビニとか全くなかったので、昼ご飯を持って行かなくてはならなかった。昼ご飯を買った記憶がないので、多分作っていたんだと思う。自分、えらい。。(泣)

家から駅前まで必死の形相で自転車を走らせ、乱暴に駐輪し、商店街を走ってパン屋へ向かう。6時にぎりぎりセーフする。

6時という時間は、まだ人々がほぼ寝静まった時間帯なので、そんな時間に必死こいてる自分がなんとなく痛々しかったし、冬なんて6時はまだ真っ暗で、そんな夜みたいな中を出勤することがなんだかとても辛かった。

私は製造のバイトだったので、あんぱんのあんを包んだりクリームパンを作ったり、という、「成形」を担当していた。素人にも果敢に挑戦させるような現場だったから、教わりながらひとつひとつ覚えていった。甘いパンとしょっぱいパン(惣菜系)の担当に何となく分かれており、私は甘いパンを担当していた。私は絵を描くことが好きだったので、アンパンマンやハム太郎などの顔を模した「顔パン」の顔の絵付けには定評があった。「かよちゃんが描いた顔パンはかわいいからよく売れる」と奥さんから言われるのが嬉しかった。

パンの成形作業をしている私の背後には、パンを焼く釜があった。背中からはいつも熱を感じており、夏場は文字通り地獄だった。暑すぎる。クーラーや扇風機なんてないし、しかも、ただでさえ暑い東京の夏に、窯で休みなくバンバンパン焼きまくってるんだから、もう汗は止まらないし頭は朦朧とするし、生きてるだけで精一杯。余裕ゼロ状態。あの環境は酷暑なんてもんじゃない。猛狂酷暑。いったいあそこ、何度あったんだろう。。。よく自分持ちこたえたな、と思う。


パン屋はご主人と奥さんの他は、全てバイトで構成されていた。バイトは確か10人以上いて、時間によって一緒になる人、ならない人もいた。いろんな人がいた。みんなほぼ20代から30代。ここだけの話、結構いろいろあるパン屋だったので、一緒によく入る人とはいろんな話をした。問題のあるトップの部下は結束しやすい、という社会通念?がそこで発揮されていた。

今まで、美術系の人たちとばかり交流してきた自分にとって、趣味も経歴もまったく違う人たちとの交流は新鮮だった。人との付き合い方や接し方も、人によって随分違うんだなあ、と思った。それに、そのパン屋で働く人たちは、みんな(例外もあるが)ほんとうによく働く人たちだった。ご主人と奥さんは丸一日、朝の6時前から立ちっぱなしで夕方まで週6日も営業しているし、バイトの人たちの中にも朝から夕までずっとのシフトの人もいたりして、あんなハードな仕事をよくそのペースで毎日やっているよなあ、、と思っていた。次から次へと新しいパンを作って、学校への配達もあって、明日の仕込みもあって、いつも時間に追われていてぼーっとしている暇なんてない、そんなめまぐるしさだった。

私は6時から9時半まで、ギャラリーバイトのない日は6時からお昼の12時までのバイトだったのだけど、12時まで働いた日はいつもくたくただった。帰ってきて、もらってきたパンを食べたら寝てしまう。しばらく使いものにならない。そんな感じだったから、あのペースで毎日を送っている奥さんとご主人は、私にとって超人だった。

いろんなものを見たし、いろんな現場に遭遇したし、いろんなことをいろいろ体験できた場所だった。あの職場で出会った方々とは、住む街が一緒ということもあり、お家でご飯を食べたりしたこともあった。自分の住む街に知り合いができたことは、私にとってとても心強いことだった。


そのパン屋の奥さんが言っていたことで心に残っていることが二つある。

ひとつは、

高学歴の人は、勉強する努力が出来る人、ということだから、つまり「努力する」ということができる人。だからバイトは採用する。

と。

ふたつめは、

もしへんな人(態度が悪いとか、嫌なことを言うとか)がいたとしても、「この人はきっと人間1回目なんだろうな」と思えば、許せる。

と。

このふたつの格言(?)、妙に真理をついている気がして忘れられない。


就職することを決意してギャラリーを確か3月末に辞めたのだけど、その後なかなか仕事が決まらず、パン屋は結局7月末まで働いた。就職活動をしながらも、なんとか食いつなぐことができたのは、いつももらえるパンのおかげだったかもしれない。パン、ありがとう。そして今は無きあのパン屋、どうもありがとうございました。


次回、ついに就職決定!の回です。

お読みいただきありがとうございました!

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