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「レストラン・プラーガ」の大宴会

宴の後

モスクワに赴任して2年目の商品見本市もつつがなく終わり、会期中に居た出張者、お偉方、ファッションモデル、関係商社の出張者も全員帰国して、やれやれという気分の初夏の朝、私と同じウクライナホテル7階に事務所を構える三井物産の主席駐在員の臼杵さんが訪ねてきました。
どうやら、私の会社から、ロシア語のおぼつかない私のために、同じ三井系の三井物産に何かあればサポートして頂くようお願いしていたらしいのです。

臼杵さんは当時モスクワ駐在の日本人の中でも、ことロシア語については飛びぬけた存在でした。
日本人の中で、ロシア語の達人は数多く居ましたが、戦時中に満州に設けられたスパイのための語学養成機関のハルピン学院で助教授をしていた人です。
主な商社の主席駐在員でハルピン学院の卒業生は沢山居ましたが、その人たちにロシア語を教えていたというか、しごいていた人が臼杵さんです

余談ですが、私のロシア語教師、ガンさんと臼杵さんが私の事務所で出会ったことがあります。
臼杵さんはガンさんに、ある種のテストをしました。

「ロシア語には罪という言葉が2つありますが、ご存知ですか?」
「それはおそらく、刑法上の罪と、神に対する罪との二つですね。」

暫くして臼杵さんは、私に

「ガンさんのロシア語はほぼ完成しています」

と請け負ってくれました。

さて、臼杵さんが、朝一番に訪ねてきた用件とは、驚くべき内容でした。


「今朝、ソ連政府の一機関から電話がかかって来て、私から貴方に説明してもらいたい」

ということです。

要求の内容は、先週、モスクワ商品見本市の打ち上げの宴会での、レストランの請求書、その請求書の明細書の本紙を提出して欲しいというものでした。 

「本紙は、経費の決算のため、日本に送ろうと思ってました。」
「日本にはコピーを送って本紙は、当局に提出するしかないと思います。」


何のことかピンと来ていない私に臼杵さんが説明してくれました。

「政府の一機関というのは、KGBです。以前からレストラン「プラーガ」の総支配人は監視されていたようです。」
「貴方の会社が主催した商品見本市の打ち上げの宴会は、「プラーガ」の支配人にとっては一番旨味のある宴会だったらしく、KGBも注目して居ました」


なんと「知らぬは亭主ばかりなり」というか私の会社の宴会は、駐在員が新米だったこともあって、一番美味しい鴨になっていたというのです。

臼杵さんの説明によると、当日KGBの捜査員が、宴会場に入って、テーブル毎に一人の捜査員が張り付いて、出てきた料理の皿数を全部記録したそうです。
キャビア4皿、スモークサーモン4皿、キエフスキーカツレツ3皿といった具合です。

当日の客は、主催者の当社の副社長以下、日本商社の繊維担当者と支店長、外国貿易省傘下の繊維関係公団の総裁から担当者などなど、レストラン「プラーガ」は指折りの高級店ですから、招待された人は、必ず来ます。
公団のほうも、「今回の宴会はメニューが良いから一緒に行こう」などと他部署の同僚を誘います。
分かっているので、見知らぬロシア人が入ってきても「あんた誰?」とチェックすることはありません。
それにしても、当日、立食のテーブルは20近くありました。
ということは、KGBの捜査員は、20人近く居たことになります。
宴会の責任者として最初から宴会場に居た私には、主催者の挨拶が始まる前から、黒パンに厚さ5ミリほどバターを塗って、ごってりキャビアを乗せてぱくついているロシア人しか見えていませんでした。
主催者の挨拶の後、必ずウォトカの乾杯が始まるので、宴会の開会前に食道と胃袋に油をまわして二日酔いを予防しておくのはここモスクワの宴会の常識です。

「ウーム、捜査の傍ら役得でキャビアをしっかり食べたな!」と思いましたがなんとなく「ロシア人らしく、こういうチャンスは逃さないのだ」と可笑しくなりました。

結局、請求書明細と当日出た皿数には大きな乖離がありました。「プラーガ」の支配人と直属の部下は、シベリアで重労働何十年かの罪に問われたようです。

暫くたって、気が付きました。
「少ない皿数と過大請求書の差額を返してもらってない!!」
でも実際の皿数はKGBしか知りません。
聞きに行ってこじれて国外追放にでもなると厄介なので泣き寝入りすることにしました。

同じような話は結構あって、モスクワ最大の「ピロシキ(ロシア版揚げ餃子)」の工場長が国家規格で決められていた、ピロシキの中身のひき肉の量をごまかして、わずかに浮いた肉を横流ししていたという罪状で、「国家反逆罪」に問われて銃殺されたというのもありました。
生産量が莫大だったので、横流しした肉は年間トン単位だったようです。

「今まで、ピロシキを買った何人のロシア人をだましてきたのか!?」

というわけです。
完全な統制経済の社会主義国で、資本主義的な犯罪は「国家の転覆を図った」と同じぐらいの重罪となります。

KGB(カーゲーベー)=英語読みでケージービー

 皆さんは、KGBが、「コミテート・ガスダルストベンヌイ・ベズオパースノスチ」(国家保安委員会)という正式名の頭文字だということをご存知ですか。
レーニンが革命に成功してロマノフ王朝を打倒したとき、国内外は敵ばかりでした。
国内の反革命分子、外国からの干渉に対して、ジェルジェンスキーという云う人が、対外諜報機関と国内統制の秘密警察を作りましたが、実際に、誘拐、尋問、拷問、暗殺などの仕事をした実行部隊は、ロマノフ王朝で同じような仕事をしていた「オフラナ」からそっくり受け継ぎました。
主義主張は正反対でもやらねばならぬ荒事は同じで、そういう技術を持っているグループを活用したわけです。

革命後、60年たってその組織と技術は洗練され、アメリカのCIAと対等に張り合うようになります。
私がモスクワ生活の中で触れたのは主として国内の活動ばかりでしたが、(まあ当然ですよね)彼らの仕事の大きな部分が、滞在中の外国人を監視して、スパイなどが入り込まないようにすることです。
ウクライナホテルには、エレベーターが絶対止まらない階があって、そのフロアには、ホテル全室の盗聴設備があるといわれていましたが、私は、それを突き止めようとするほどの脳天気ではありません

日露混血で小さな友好商社の駐在員をしていた美しいスベトラーナが、公団の友人と30分ほど電話して、ファッション、レストラン、お菓子の美味しい店について際限なく話していたら、突然野太い男の声で「いい加減におしゃべりを止めろ!!」と対話に割り込まれたといっていました。
仕事とはいえ盗聴していて、付合いきれないと思ったのか二日酔いで頭が痛かったのか、まっ「男はつらいよ」というわけです。

ほかにも、ホテルの入り口にある「ガジェローブ」(外套を預かるクローク)、国営旅行社のホテル内支店、日本の大手総合商社に国営人材斡旋機関「ウポデカ」から派遣されてきたタイピスト、秘書などなど休日になると彼らは、管理しているKGBの上司に報告のため某所に出頭します。

KGBのシステムがすごいのは、原則として同じ職場には2人のレポーターが居て、2人はお互いにKGBのレポーターであることを知らされていないのです。
秘書のワーリアの報告の中に、別の秘書が報告してきた問題情報が含まれて居なければ、ワーリアの忠誠又は能力に疑問符が付きます。程なく、「ウポデカ」から
「ワーリアは事情があってモスクワを離れるので、代わりの秘書を斡旋します」
という通知が来ます。

でも、悪い話ばかりではありません。

私が愛車「ボルガ」を運転してモスクワの町や風光明美な郊外に出かけるとき、おそらくKGBの完全な監視下にあります
その私を、KGBの目の前で襲って金品を狙うというような肝の太いロシア人は流石に居ないわけで、私はどこに行くのも完全に安心していました。
社会主義の国に駐在する日本人駐在員は、治安状態がいいとおもっていても間違いありませんが、その意味するところは、別にあります。   

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